浅草は毎年7月の9日10日はほおずき市で賑わいます。
業者の人は手塩にかけたほおずきを、此処かしこに配置しています。
梅雨明けまじかのムシムシした初夏に、一服の清涼剤ですね。
しかし、ほおずき市は浅草が発祥ではなかった。
目次
1.金龍山浅草寺とは?
2.ほおずき市の由来
3.なぜ7月の9日10日なの?
4.浅草寺の功徳
5.観音経とは?
6.ほおずき市の意義
7.さいごに
金龍山浅草寺とは
浅草寺は、1400年近い歴史をもつ観音霊場です。
飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝のこと。
隅田川のほとりに住む、浜成・竹成兄弟が漁をしていました。
すると、投網に一体の仏像が引っかかります。
仏像のことをよく知らなかった兄弟は、像を再び水中に投じ、場所を変えて網を打ちます。
しかし、そのたびにその像が網にかかるのでした。
この兄弟は魚が捕れなかったので、この像を持ち帰りました。
土師中知(名前には諸説あり)という土地の長に見てもらいました。
そして、聖観世音菩薩の像と知ります。
翌19日の朝、地元の草でつくったお堂に、この観音さまをお祀りしました。
「御名を称えて一心に願い事をすれば、必ず功徳をお授けくださる仏さまである」
やがて、長の中知は私宅を寺に改め、観音さまの礼拝供養に生涯を捧げました。
浅草寺に伝わる縁起には、観音さま示現の日、
一夜にして辺りに千株ほどの松が生じ、
3日を過ぎると天から金の鱗をもつ龍が松林の中にくだったと記されているそうです。
この瑞祥が、後につけられた山号「金龍山」の由来となったと言います。
ちなみに、この3人はお隣の浅草神社のご祭神になっています。
神様になったんですね。
ほおずき市の由来
もともと、ほおづき市は愛宕神社の縁日に開かれていたものが発祥となっているそうです。
約200年前の1764年間に始まったといわれています。
山東京伝の『蜘蛛の糸巻』によると、
芝 (東京都港区)・青松寺の門前の武家屋敷に奉公する使用人が愛宕権現の霊夢を見ました。
翌朝、その使用人は庭で一株の千成りほおずきを発見します。
そこで、
「6月24日の功徳日に青ほおずきの実を愛宕の神前で鵜呑みにすれば、大人は癪の種(腹の立つ原因)を切り、子供は虫の気を封ずる」
というお告げを吹聴したそうです。
これが不思議と効能があったため、いつしか「御夢想の虫薬」と称して、青ほおずきの市が愛宕神社の境内に立つようになりました。
江戸時代には、青ほおずきは解熱剤や婦人の胎熱に特効があると思われていたのですね。
ほおずきは薬草として重宝されていたので、愛宕神社での千日参りのお土産として、売られるようになったようです。
やがて、これが浅草寺に波及し、愛宕神社をしのぐ活況を呈するようになったのですね。
なぜ7月の9日10日なの?
毎月18日は観音様とご縁のある日とされています。
この日を「縁日」と呼んでいました。
この縁日に参拝すると、より多くのご利益が得られると伝えられてきました。
室町時代以降には「功徳日」(くどくび)と呼ばれる縁日が新たに定められました。
この日に参拝した場合、一度の参拝で百日分や千日分のご利益を得られるとされていました。
この功徳日の中でも最もご利益が多いとされているのが、7月10日です。
この日は千日分のご利益が得られるとされ「千日詣」(せんにちまいり)と呼ばれていました。
浅草寺では、1716年頃より「四万六千日」(しまんろくせんにち)と呼ばれるようになります。
その日に参拝すると、ご利益は46,000日分に相当すると言われています。
それで7月10日になりました。
ただ気の早い人が7月9日から大勢押しかけるので、9日も縁日になったそうです。
浅草寺の功徳
観音様ですので功徳はオールマイティーであるはずです。
その中でも特にといえば、修正会という国家安泰、五穀豊穣の儀式です。
大晦日の夕方から正月6日の間、不眠不休で御祈祷されるそうです。
特に聞いてもらいたい願いがあれば、御祈祷をお勧めします。
定時法要は朝の6時、10時、午後の2時と3回行っています。
特に朝6時の法要は功徳が高いそうです。
また、先祖供養には抜群の霊験があるそうです。
ご回向と言って、先祖を慰めてくれるらしいです。
先祖の縁によっての縁結びもあるとか?
観音経とは?
法華経のなかの「観世音菩薩普門品第二十五」という一章です。
この中では、 観世音菩薩が、私たちが人生で遭遇するあらゆる苦難に遭っても、観世音菩薩の偉大なる慈 悲の力を信じ、その名前を唱えれば、必ず観音が救ってくれると説いています。
江戸時代の有名なお坊さん、白隠さんは当初、観音経を重要視していませんでした。
観音さんは、こんな時はこうして救ってくれるという説明ばっかりだったからです。
まるでラッキョ、剥けども剥けども実がない!
真髄がないと思っていたらしいです。
しかし、あるとき読み返していて、ハタと気が付き滂沱の涙が止まりません。
白隠さんは悟ったのです。
観音様はこれほどにも衆生のことを思い救おうとしている。
きっとこの時に白隠さんは観音様と同じ境地に立たれていたのでしょう。
観音経は長いと言う人には、延命十句観音経というのがあります。
功徳はそんなに変わらないと聞きますが?
これは、霊元天皇(1654 – 1732年)が最も霊験あらたかな経典を霊空和尚(1652- 1739年)に探させ、これに行き着いたという伝説があります。
白隠さんが『延命十句観音経霊験記』に述べています。
白隠は他にいくつかの伝説を採り上げ、偽経といえどもこれだけ霊験があるのだからと、人々に唱えることを推奨し、『延命十句観音経霊験記』をあらわし、普及に努めたそうです。
『十句観音経』
観世音。南無仏。 (かんぜおん。なむぶつ。)
与仏有因。与仏有縁。 (よぶつういん。よぶつうえん。)
仏法僧縁。常楽我浄。 (ぶっぽうそうえん。じょうらくがじょう。)
朝念観世音。暮念観世音。 (ちょうねんかんぜおん。ぼねんかんぜおん)
念念従心起。念念不離心。 (ねんねんじゅうしんき。ねんねんふりしん)
ほおずき市の意義
浅草寺に7月9日、10日にお参りすれば、通常お参りするときの4万6千回分に当たる功徳があると言われています。
はたしてそうなのでしょうか?
話は浅草寺の縁起の戻ります。
金龍山と名付けられたいわれを思い出してください。
思うに、この日に金龍が現れるのではないでしょうか?(笑)
ほおずき市で観音様のことを思い出せば、
観音様と縁が出来るので、救われやすくなるのでしょうか?
4万6千日というのは長いと言う事で、永遠と解釈できます。
ほおずき=法好き と解釈して、仏法を好きになれば永遠に救われますよ。
と、解釈する人もいます。
こじつけでも面白いと思います。
さいごに
漁師が仏像を海から引き揚げたという伝承は他にもあります。
有名なのが、川崎大師、成田山、西宮戎などです。
何処も隆盛を極めています。
やはりそれだけ感じるものがあるからなのでしょうね。
言い換えれば、ありやかな功徳があるのでしょうね。
そして、浅草寺のお御籤は凶が多いそうです。
3割くらいは凶だと聞いています。
これは、頼るだけではダメですよ。
自分で努力もしなさいね、と諭しているようですね。