スターバックスの人気の秘密!スタバの歴史ーハワード・シュルツを知っていますか?

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スターバックスのハワード・シュルツをご存知ですか?

彼はいかにして成功を収めたのでしょうか?

スターバックスの始まり

1966年のことです。

深煎りコーヒーを初めてアメリカに持ち込んだ、アルフレット・ピートはバークレイのバインストリートで「ビーツ・コーヒー・アンド・ティー」を創業します。

深煎りの高品質なアラビカ種を使い、今までのコーヒーとは全く別物の、芳醇な香りと味わいのものでした。

1971

シアトルで英語教師のジェリー・ボールドウィン

作家のゴードン・バウカー、

ゼブ・シーゲルの3人が、

コーヒー豆の焙煎・販売会社として「スターバックス・コーヒー・ティー・アンド・スパイス」を設立します。

ジェリー・ボールドウィンは深煎りのアラビカ種のコーヒーに魅せられ、アルフレット・ピートから焙煎方法や接客まで学びました。

それは、シアトルの人々に最高のものを味わってほしいという一念からです。

シュルツの幼年期

シュルツは1953年にブルックリンの低所得者住宅で生まれます。

高卒の母親は貧しくても子供達を大学に行かせたいと願っていました。

そして、いつも成功者の話を彼に聞かせていました。

「どんな目標でも思い続ければ達成できる。そのためには自ら求めて困難に挑戦すること」

と教えていました。

彼が7歳の時、配達員をしていた父親が仕事中に氷で足を滑らせ、腰と足首を骨折してしまいます。

父親はその日のうちに解雇された上、健康保険も解雇手当もありませんでした。

彼は労働者階級の厳しい現実を目の当たりにするのです。

12歳から新聞配達、16歳から放課後は工場で働き家計を助けます。

得意だったスポーツで、フットボール奨学生としてノーザンミシガン大学に進学します。

卒業後、やりたいことを見出せないまま、スキーロッジで一年間アルバイトをします。

シュルツの青年期

それから彼はニューヨークに戻りゼロックス社の営業の職に着き、営業知識、マーケティング、プレゼンテーション等を徹底的に学びます。

ワープロ販売で毎日50社の飛び込み訪問をし、販売ノウハウを体得するのです。

数え切れないほど門前払いになっても、めげずに販売方法を工夫しました。

日々の奮闘は、ビジネスの貴重な訓練となりました。

3年後には、開拓した地区の販売を単独で任されるようになるのです。

しばらくして、彼は次のステージを模索し始めます。

転職

そして、彼はアメリカに支店を出す、家庭雑貨を扱うスウェーデンの企業に転職します。

いざ研修を受けると、プラスチック製の台所用品や雑貨が好きになれません。

興ざめしてしまい、退職を申し出ます。

しかし、彼の営業力に期待していたスウェーデンの企業は、彼を引き留めます。

彼をニューヨークの子会社の副社長兼総支配人に任命し、給料の大幅アップを提示します。

それで彼は会社に留まり、結婚して家も買いました。

年棒は1000万円を超えていました。

シュルツは、まさにアメリカン・ドリーム、大成功を手に入れたのです。

スターバックスとの出会い

ハワード・シュルツは成功を収めたものの、どこか満たされない思いを抱いていました。

彼の心の中では、「自ら求めて困難に挑戦すること」の母の言葉がリフレインしています。

シュルツが28歳のある日、シアトルの小売店が、手動式コーヒーメーカーを、大手百貨店を上回る数量を注文し続けていることを知るのです。

不思議に思い、シュルツはシアトルの「スターバックス・コーヒー・ティー・アンド・スパイス」に赴きます。

そして、それが彼の人生を変えたのです。

スターバックス・コーヒー・ティー・アンド・スパイス

そのシアトルのコーヒ豆販売店は十数人が入ると一杯になるような小さなお店でした。

小説「白鯨」の航海士スターバックスのイメージで作られた店内は、落ち着いた趣です。

創業者達は、顧客が家庭で本格的な深煎りコーヒーが飲めるように、アラビカ種のコーヒー豆の詳しい知識を語り合っていました。

シュルツは、そのコーヒーを口にして衝撃を受けます。

今までのコーヒーとは全く別物の、芳醇な香りと味わい。

これが、コーヒーメーカーが飛ぶように売れていた理由だったのです。

創業者達は純粋にコーヒーを愛し、シアトルの人たちに最高のコーヒーを味わって欲しい、とお店を立ち上げていたのです。

その日から、彼の脳裏からスターバックスのことが離れません。

自分の働く大都会の多国籍企業とは比べ物にならない地方の小さな会社です。

しかし、素晴らしい商品を持ち、可能性に満ちています。

「スターバックス・コーヒー・ティー・アンド・スパイス」への転職

シュルツは思い切って、私を使ってみませんかと申し出ます。

粘り強いアプローチの末、一年後に入社します。

シュルツは、マーケティングの責任者になります。

1983年春 彼はイタリア・ミラノを訪れます。

街には小さなエスプレッソバーが点在しています。

何気なく入った一軒のエスプレッソバーで衝撃を受けます。

エスプレッソバーとの出会い

心地よい雰囲気の店内、香り高いエスプレッソを優雅に注ぎ、カップを渡すバリスタ。

「ここはコーヒーを飲んで、一休みするだけの場所ではない。居るだけで素晴らしい体験になる劇場だ」。

人々は、その空間を心から楽しんでいました。

ミラノには実に1500軒ものエスプレッソバーがあり、連日賑わっていたのです。

当時、北米にはエスプレッソバーやコーヒーバーがありませんでした。

彼は閃きました。

「シアトルでも同様のコーヒーバー文化を展開できるはずだ」

帰国するとすぐに経営陣にコーヒーバーの計画を提案しますが、クレージーだと相手にされません。

彼らは現状の高品質の豆にこだわり、本物のコーヒーを自宅で味わってもらえれば、それで満足だったのです。

閃きを信じて!

「今が絶好のチャンスだ、チャンスは二度と来ない。

一生後悔するだろう。

自分でやるしかない。」

彼は独立を決意し、退社しました。

新しい門出!

1985年シュルツはコーヒーバー「イル・ジョナーレ」を立ち上げます。

彼の小さな店は、学生、OLを中心に多くの人が集まりました。

数ヶ月後には1日800人が来店し、行列ができるまでになります。

そして2年後には、スターバックスを380万ドルで買収するまでになります。

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シアトル系コーヒーとして一大ブームを引き起こし、北米全土の広まりました。

後にシュルツは、この成功を

「何よりも『自分の場だ』と顧客が感じられること。

次にクオリティーの高いコーヒー。

接客やインテリアなど、あらゆる面で顧客の期待を超えたからだ。」

と言っています。

彼が目指したのは、居心地の良い「サードプレイス(第三の場所)」です。

そのためには、高い品質のコーヒーと、自分の場として寛げる心地よい雰囲気が最重要でした。

人材

また、そのためには、それを支える人材が不可欠です。

彼は、従業員をパートナーと呼び大事にしました。

全従業員以外に、週20時間以上働くパート社員にも健康保険を適用しました。

利益に踊らされることなく倫理観や誠実さを最優先した、働く人が安心して働き、達成感と働く意義を持ち、幸せになる企業を目指しました。

顧客、従業員、取引先全ての人を幸せにするビジネス。

「私たちはコーヒービジネスをしているのではない。人間ビジネスをしているのだ。」

日本に進出!

1996年アメリカで1000店舗を超え、日本進出も果たします。

2000年シュルツはCEOを退任し、後継者にスターバックスを委ねました。

ハワード・シュルツは労働者階級から成功と富を得、さらにそこから全てを捨ててスターバックスチェーンを世界展開した、素晴らしいサクセスストーリーです。

しかし、運命は彼にさらなる困難への挑戦を準備していたのです。

運命はシュルツにさらなる困難への挑戦を強いた!

シュルツの引退後もスターバックスは順調な成長を続けました。

しかし、経営陣は更なる利益の数値アップを目指します。

利益のみを追求した無理のある出店展開で人材不足となり、サービスとクオリティーが低下し始めます。

売り上げを求めるあまり、企業理念に反する商品が出されます。

コーヒーを楽しむ心地よい店には、コーヒーの香りをかき消す焦げたチーズの匂いが漂い、無関係なマスコットが多種類販売されていました。

接客にもクレームも出始めます。

変容していくスターバックス

増加し続けていた来客数が初めて減少します。

そして売り上げも落ち始めるのです。

株価は一時、最高値から81%も下落しました。

2007年シュルツは、この状況を危ぶみ経営陣にメールを送ります。

悪いことに、これが社外に漏れて、報道され大騒動になりました。

自分が出るしかない

2008年ついにシュルツはCEOに復帰します。

しかし、世間の目は辛辣なものでした。

「いくらシュルツが戻ってきても、スターバックスの復活は不可能だろう」

想像の域を超えた改革

彼はまず社内で何が起きているのかを調査します。

事態は想像以上に深刻でした。

彼はコーヒーが「アートと愛とロマンスを完全になくしていた」と言っています。

2008年2月

全米7100全店を一時的に閉鎖しました。

それは社の精神を取り戻すため、全バリスタを集め、エスプレッソ作りの再教育をほどこし、ビジョンの共有化を図るためのものです。

そして、売れ筋商品であっても、コーヒーの香りを損なう商品を全て廃止しました。

「何が本当に大切で、何が必要なのか」を見極め、実行し、原点回帰を目指しました。

しかし、無計画に増え続けた店舗と従業員の経費は莫大です。

このままでは会社の存続が危ういのです。

彼は苦渋の決断をします。

決断!

他に会社を救う方法がないのです、

眠れぬ日々が続きます。

ついに、赤字店舗600店と約1800人を解雇します。

2008年秋

ハリケーン・カトリーナで大打撃を受けたニューオリンズで、店長やリーダー職の会議を開きました。

被災を受けて3年を経ても復興が進まないニューオリンズでの会議は、宿泊滞在費が総額32億円を超えるものでした。

現地にとって、それは大きな支援です。

それだけではなく、会議出席者全員で、のべ5万時間に及ぶボランティア活動を行いました。

「スターバックスが何を目指してきたのか。それは良心と魂のある会社だ。」

この活動はスターバックスの理念をリーダー達に再認識させました。

シュルツのスピーチ!

人を何よりも大切にするはずの会社が、ポリシーを失い利益至上主義に偏向して変質し、職員と家族の生活を脅かしてしまったことを謝罪します。

その頬には涙が流れていました。

そして「私はあなた達の協力を得て、必ずや会社を立ち直してみせる」

彼の熱意と愛情と創業精神は店長達の心に深く刻まれました。

店長達は全米の店舗に戻り、シュルツと同じ志で、日々の業務と従業員の指導、接客にあたります。

彼の志は、21万5千人の残従業員に行き渡りました。

奇跡が起きた!

スターバックスは一気に回復しました。

2年後の2011年には売上高過去最高の一兆二千億円を超えます。

日本の仙台で

翌年の2012年3月東日本大震災の爪痕の残る仙台で、日本でのリーダー会議を開催します。

シュルツ自らも参加しました。

彼はこの震災に大変心を痛めていました。

会議の後、被災地で働く従業員40名の食事会にもサプライズで参加します。

いつも人を大切にしたい、彼の本心です。

「人に対する見返りを求めない貢献」はスターバックスの基本理念です。

「人」を大切にするシュルツの理念は従業員に行き渡り、その姿勢や人間性が、心地よい空間を作り、顧客に伝わります。

さいごに

幼少期の母の言葉

「どんな目標でも思い続ければ達成できる。そのためには、自ら求めて困難に挑戦すること」

父に苦悩を見て心を決めた「人を大切にし、正しい価値観で心を注ぐ」

シュルツの人生は、私たちに、善なる正しい志を持ち、努力を惜しまないところに奇跡は起こることを教えています。

私は困難に挑戦することに快感を覚える。
目標の達成を目指す行為は、多くの人々の挑戦を拒んできた険しい絶壁を登るのに似ている。
それが困難であればあるほど努力する喜びは高まり、頂上を極めた時の満足感は大きくなる。
常に理想を追い求める登山家のように、我々もさらに高い山を求め続けている

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