富士山には負けるけど、西日本では一番高い石鎚山を新車で下見に行く!

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友人が軽自動車の新車を買い石鎚山に行くという。

富士山には負けるけど、西日本では一番高い山は石鎚山です。

登山かと思えば、今回は下見だけです。

軽自動車とはいえ小豆島から行くのでフェリーの運賃がバカにならない。

フェリー代金が往復約一万円、高速代が往復約4千円、ガソリン代は友人負担です。

陸続きであれば、フェリー代が不要なのに、島からだと高くつきます。

安く上げるために四人で行きました。

一人当たり三千五百円の割り勘となりました。

石鎚のお札

かつて我が家では、荒神さんの神棚に石鎚山のお札もありました。

島内で毎年石鎚にお参りに行く人がいて、お札をもらってくるのです。

石鎚の講みたいなのがあったのでしょうね。

もちろんタダという訳にはいかないので数百円の寄付をしていました。

私はてっきり石鎚山に神社があって、そこのお札かと思っていましたが、そうでもないようです。

親戚の家には石鎚山で頂いた観音像があったそうです。

おじいさんが亡くなって信仰もしていないのでお返ししたいと言っていました。

しかし、石鎚のどこで頂いてきたのか分からないと諦めています。

そのおじいさんは「拝む者」と言って、観音信仰をしていたようです。

そんな関係で、我が家もお札を頂くリストに入っていたのでしょう。

昔のことなので分かりません。

石鎚山

石鎚山(いしづちさん)は、四国に位置する標高1,982mの山で、西日本の最高峰です。

愛媛県西条市と久万高原町の境界に位置します。

石鉄山石鈇山石土山石槌山あるいは伊予の高嶺などとも言われています。

『日本霊異記』には「石槌山」と記され、別の文献では「石鉄神社」とも記されています。

別当寺である前神寺および横峰寺では「石鈇山(しゃくまざん)」とも呼んています。

石鎚神社とは?

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石鎚神社
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石鎚神社本社(口之宮)
所在地 愛媛県西条市西田甲797番地
位置 北緯33度53分23.3秒
東経133度9分19.8秒
座標
主祭神 石鎚毘古命(石土毘古命・石鎚大神)
社格等 県社・別表神社
創建 奈良時代
本殿の様式 権現造
例祭 4月5日・10月5日
主な神事 お山開き(7月1日~10日)

石鎚神社(いしづちじんじゃ)は、愛媛県西条市にある西日本最高峰石鎚山を神体山とする神社です。

山麓に鎮座する本社(口之宮)、山腹の成就社(中宮)と土小屋遙拝殿、山頂の頂上社の4つ

を総称して石鎚山神社といいます。

石鎚山総本宮と称し、宗教法人・石鎚本教の総本宮です。

神紋は丸に石の字です。

祭神は?

石鎚毘古命(いしづちひこのみこと・古事記では石土毘古、石鎚大神とも称する)

  • 石鎚大神は、伊邪那岐命と伊邪那美命の第二子とされています。
  • 祭神は一神だが、神徳を仁智勇の玉持ち神像(和魂 にぎみたま)、鏡持ち神像(奇魂 くしみたま)、剣持ち神像(荒魂 あらみたま)の三体の神像に現す。

玉と鏡と剣を御神体としているのでしょうか?

まるで伊勢神宮の三種の神器(勾玉、お鏡、剣)と同じですね。

別当寺とは?

石鎚山の信仰を考えるときに、別当寺の存在を無視できません。

別当寺(べっとうじ)とは、神仏習合が行われていた江戸時代以前に、神社を管理するために置かれたのことです。

別当とは、すなわち「別に当たる」という意味になります。

「別に本職にあるものが、他の職をも兼務する」ということでます。

ここでは「寺務を司る官職」のことなのです。

神仏習合の時代から明治維新に至るまでは、神社で最も権力があったのは別当でした。

一つの村に別当寺が置かれると、別当寺が、村内の他のいくつかの神社をも管理しました。

神仏の信仰にかかわらず、行政的な意味合いも持っていたようです。

そして、神仏の一つの宗教施設として、信仰のよりどころになっていました。

神仏を一体のものとして管理、保護していたようです。

本地垂迹説

神道において、祭神は偶像ではありません。

神の拠代(よりしろ)として、神器を奉ったり、自然の造形物を神に見立てて遥拝します。

別当寺を置くことにより、神社の祭神を仏の権現(本地仏)と考えました。

要するに仏が化身して祭神になっていると考えられていました。

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これを本地垂迹説といいます。

別当が置かれたということは、仏が主で神が従ということになります。

しかし、神社が仏式であったということではありません。

宮司は神式に則った祭祀を行い、別当は本地仏に対して仏式に則った作法をおこなっていました。

信徒は、神式での祭祀を行う一方で、仏式での勤行も行っていました。

これは神仏習合の時代に普通に見られた形態なのです。

反本地垂迹節

明治時代の神仏分離令により、神と仏の地位の逆転が起こりました。

天皇を頂く神道が主となり、御仏が従となります。

そこで神道と仏教は別個の物と見なされ、分離されるのです。

そして両者が渾然一体となった別当寺はなくなっていきました。

元々大和国は天皇が治める神道の国柄でした。

しかし、おおらかな神道だけでは国を治めるのが困難になっってきたのでしょう。

仏教という戒律を聖徳太子が導入したと言われています。

別当寺 前神寺

役小角によって開かれた霊峰石鎚山 (1982m) の麓にあります。

役小角が石鎚山で修行を積んで、のちに蔵王権現を感得しその像を彫りました。

桓武天皇の病気平癒の祈願が成就し、天皇によって七堂伽藍が建てられ金色院前神寺として開かれたそうです。

そして多くの歴代天皇の信仰も厚かったのです。

後に空海(弘法大師)もきており、このとき空海は2度石鎚山を登ったといわれています。

当寺は、横峰寺とともに山頂の弥山に存在する石鉄権現の別当寺にあたります。

東側の遥拝所でもありました。

江戸時代には西条藩主である松平家の信仰も集めています。

松平氏は東照宮をまつり、三葉葵の寺紋を許しました。

それほど信仰が厚かったのです。

本寺は里前神寺と称されることもあります。

これは海抜1400mあたりにある前神寺の出張所を奥前神寺と呼び区分しました。

奥前神寺は本来、現在の成就社でしたが、明治の神仏分離令により独立し、奥前神寺と里前神寺ともに石鎚神社となりました。

その時、本尊と権現像と僅かの寺宝は持ち出され、その後、1878年(明治11年)に現在地に里前神寺が再興されました。

さらに今宮道の最終地点に奥前神寺が再興され、さらにロープウエイ開通の翌年に山上駅の上にある現在地に移転されました。

別当寺 横峰寺

寺伝によれば役行者(役小角)が石鎚山頂で修行をしていた時、そこに蔵王権現が現れました。

その姿を石楠花(ジャクナゲ)の木に刻んで堂に安置したと伝えられています。

その後、行基が天平年間(729年 – 748年)に、空海(弘法大師)が大同年間(806年 – 810年)に入山したと伝えられています。

空海が入山した際に大日如来を刻み、これを本尊としたといいます。

前神寺とともに石鈇権現の別当寺でしたが、明治4年に廃仏毀釈によって廃寺となります。

その後、明治42年(1909年)に元の横峰寺の名に戻されました。

霊峰石鎚山

石鎚山は、山岳信仰(修験道)の山として知られる。

日本百名山、日本百景の1つであり、日本七霊山のひとつとされ、霊峰石鎚山とも呼ばれる。

石鎚山脈の中心的な山は、

最高峰に位置する天狗岳(てんぐだけ、標高1,982m)

石鎚神社山頂社のある弥山(みせん、標高1,974m)

南尖峰(なんせんぽう、標高1,982m)

一連の総体山を石鎚山と呼びます。

信仰の山

石鎚山は古くから山岳信仰の山とされ奈良時代には修行道場として知れ渡りました。

役小角や空海も修行したとされ山岳仏教や修験道が発達し、信仰の拠点として石鎚神社、前神寺、極楽寺、および横峰寺があります。

古代の石鎚山は笹ヶ峰、瓶ヶ森および子持権現山が石鎚信仰の中心であったとする説、

あるいは現在の石鎚山と笹ヶ峰の東西2つの霊域を想定する説があります。

縄張り争い

江戸時代には信者の増加に伴い、別当職や奥前神寺の地所をめぐって西条藩領の前神寺と小松藩領の横峰寺との間に紛争が起懲りました。

古来、石鉄山社別当は前神寺が専称していましたが、1729年(享保14年)に横峰寺が「石鉄山横峰寺別当」の印形を使用したのが騒動の発端であると言われています。

双方が都の御所に出訴するに至りました。

そこで「石鉄山社別当」は前神寺が専称し、「仏光山石鉄山社別当」は横峰寺が称するとの裁決が下されました。

山開き

1871年(明治4年)の神仏分離により、石鎚蔵王権現は石鎚神社に、前神寺および横峰寺は真言宗に所属することとなりました。

明治時代以降は石鎚神社、前神寺、横峰寺はさらに多くの信者を集めるようになります。

毎年、7月1日から10日までの間に「お山開き」の神事が執り行われます。

これには多くの信者が参拝登山に訪れます。

古くからお山開きの期間中は女人禁制とされてきました。

現在では7月1日だけが女人禁制となっています。

格別の功徳は?

日本霊異記の中でのお話しです。

石鎚で修行して、来世皇室に生まれ変わったという話があります。

石鎚山で修行し祈願すれば叶うらしいのです。

艱難辛苦を乗り越えて、石鎚山で来世を誓えば叶うかもしれません。。

ただし、来世に生まれ変わった時には、前世の記憶は忘れてしまっているのですが…。

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