仏教の革命児親鸞上人の浄土真宗門徒はここまで知らなくて良いのかな?

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我が家の葬式仏教は浄土真宗です。

当番制で地区の総代になってしまいました。

そんな訳で少しは親鸞さんのことを知っておこうと思います。

親鸞さんと日蓮さんはどっちが偉いのか?

同じ仏教でありながら宗派が分かれているのはなぜか?

住職に聞くわけにもいかずちょっと調べてみました。

そしたら結構奥深いものがありました。

行き着くところは信じるか信じないかになりますが、前向きに!

親鸞とは?

親鸞上人はどうもかなり過激な人物だったそうです。

鎌倉時代には僧侶は妻帯してはいけない戒律がありました。

しかしあえて奥さんを持ち、破戒僧になったのです

そして僧侶でも奥さんを持っていいという新しい教えを打ち立てたのです。

それだけで十分過激な革命児です。

比叡山から見れば罰当たりものでしょうね。

親鸞と日蓮

親鸞上人は革命的で過激な人物と言えます。

一方、日蓮さんも過激でした。

その根底には「どれがお釈迦様の本当の教えなのか」という大きな疑問がありました。

それゆえ多くの宗派と公的な場所であえて論争し神通力も競ったと言います。

親鸞さんが目指したものは「衆生の済度」と言われています。

これまでの仏教では救われない人をも救いたい、その一点だと言います。

比叡山最澄の教え

「森羅万象ことごとく仏性あり、一切衆生ことごとく仏性あり」

いかなる人も仏教で救われると言っています。

いかなる人も志せば救われるとも言っているのです。

ところが巷の衆生は苦しんでいるではないか。

猟師は殺生をするから地獄に行く。

殺生に関する職業についている人はみんな地獄に行く。

そんな衆生の苦しみを比叡山で学問を積み、お経を上げても、

苦しみを真に理解して救うことができるのだろうか。

親鸞の大祈願

親鸞は衆生済度の問題で葛藤を極めていました。

壁に直面していたのです。

そこで比叡山を降り、京都六角堂で百日間のおこもりをします。

六角堂は日本仏教の父と言われる聖徳太子が建立したと言われています。

要するに、聖徳太子の霊に聞きに言ったのです。

100日にお籠りの95日目の明け方、救世観音が化身した聖徳太子が現れます。

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「行者宿報にて、たとい女犯すとも、われ玉女の身となりて犯せられん。

一生の間よく荘厳して臨終に引導して極楽に生ぜしむ」

(妻帯して、衆生済度の願いを成就しなさい。妻帯するときには奥さんに救世観音が懸かって

玉女となって、終生導きますよ)

その時に、「法然上人のところへ行って、浄土の勉強をしなさい」

とも言われていたらしいのです。

そうであれば、ある意味、浄土真宗は六角堂がスタートかもしれません。

先人の教え

弘法大師さんにも、よく似た話があります。

弘法大師さんは初め儒教を学びましたが今ひとつ。

次に老荘思想を勉強しましたが本物ではない。

ついに仏教にたどりきます。

仏教は本物と思うものの、いろんな教えがあり過ぎてどれが本当か悩みます。

その時「我が行く道を知らしめたまえ」と祈りに祈り大日経疏に行き着くのです。

そして密教を学ぶために唐に行くのです。

白隠禅師も当初は地獄に行くのが怖いから仏道に励んでいました。

何年も悩み、祈りに祈り文書蔵で手にしたのが「禅関策進」だと言います。

それ以来、禅宗一本で修行をし、五百年に一度の天才と言われるようになったのです。

仏道を成就する

親鸞上人は妻帯してからは比叡山から攻撃され、鎌倉幕府からも攻撃され、

何回も島流しになっています。

迫害に次ぐ迫害の日々だったのです。

一番苦しんでいる巷の中に身を置いて90歳まで生き貫きました。

親鸞が目指した求道心のいかに本物であるかを物語っていますね。

浄土の教え

法然は比叡山でも優秀な人材で天台座主になれる人でした。

ところが、衆生済度の済度に絞って考えていました。

最終的に南無阿弥陀仏に帰結したのです。

親鸞は教行信証のなかで、

「阿弥陀如来とは自然界の法則をたとえていっているのだ。

自然界の法則とはすなわち阿弥陀如来だ。」

と言っているようです。

そうなら南無阿弥陀仏の意味は「自然のままに帰依し奉ります」になりますね。

まとめ

親鸞上人の生き様を知れば知るほどすごい人物だと感動します。

衆生済度の願いを一生貫き通した人です。

市井の苦しみのなかにあって、共に苦しみ済度を広める。

そんな素晴らしい浄土真宗が我が家の宗教でした。

教えが素晴らしくても受け取る私たちが問題ですね。

時代が違うといえばそれまでですが、利他の愛とか気概は見習いたいものです。

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