鳥居をくぐると、鬱蒼とした参道が一直線に続きます。
道ばたの溝にはチョロチョロと水が流れ雰囲気のある参道です。
階段を前にして見上げると、大きな杉の木が迎えてくれます。
階段を登り、境内に入ると清々しい社殿に出ます。
社殿の後ろが三輪山で御神体です。
目次
神社の成り立ち
大国主命が出雲国を拠点に国造りに励んでいた時のことです。
協力者の少彦名命が常世の国に帰ってしまい、大国主命は思い悩んでいました。
そこに突然、煌々と海を照らし出現した神がありました。
その神は「私はお前の幸魂奇魂です。」
そして、「私は、大和の国の三輪に住みたいと思う。」と言ったそうです。
大国主命の霊魂であると名乗った神が、三輪神社の祭神大物主命です。
三輪神天変事変疫病を収める
崇神天皇の御代、天皇が天変地変、疫病の流行にお悩みになっておられました。
そこに、大物主命が夢枕に立たれ
「太田田根子をもちて、我が御魂を祭らしむれば、神の気起こらず、国安らかに平ぎなむ」
と告げられるのです。
天皇は早速、太田田根子に、三輪山において祭祀を行わせました。
すると、天変地変も疫病も収まったのです。
懐胎伝説 太田田根子とは何者?
太田田根子は活玉依比売の末裔と言われています。
活玉依比売にまつわる懐胎伝説があります。
ある日、妊娠の兆候を示した活玉依比売の姿に驚いた母親が、問い詰めると、
「夜な夜な高貴な男性がやって来るが、何者なのかわからない」
と答えるのです。
そこで、一計を案じた母親は、床の周りに赤土を敷き、麻糸を針に刺し、男性が訪れた時に衣服に針を刺しつけるように命じたのです。
一夜を過ごした男性が朝、姿を消すと、麻糸は鍵穴を通り抜け、美和の山まで続いていました。
その時、残った麻糸は3巻しか残っていなかった。
以上の伝説により、山の名前を三輪山にしたと伝えられています。
三輪の神様の正体は?
類似した伝承で、ヤマトトトヒモモソ姫の物語があります。
夜毎訪れて来る男性に、姫は「ぜひ、お顔を見たい」とせがむのです。
しかし、男性は拒否します。
再三せがむので、男性はやむなく
「朝、小物入れを覗いてみるがいい。ただし絶対に驚いてはいけない。」
と言います。
朝になり、姫は小物入れを開けてみると、小さな黒蛇がトグロを巻いていたのです。
あまりのショックに姫が尻餅をついたところ、打ち所が悪く、此の世をさってしまいました。
この物語は、三輪神が蛇神であることを示しています。
三輪は三輪素麺で全国に名をはせる地域です。
それで素麺は、三輪の御祭神を表すものだと思うのです。
桜井市三輪はどこにあるの?
西名阪道路の天理で降り、道を南に向かいます。
天理市内を通り抜け、しばらく行くと左手に大きな鳥居が見えてきます。
三輪素麺のお店を過ぎ、鳥居を左に曲がって直進します。
左サイドに大きな駐車場がありますが、奥にも駐車場があります。
そして、目の前に見える三輪山が御神体なのです。
御神体ですので、勝手にハイキング気分で山に入るのはご法度です。
本当に霊験あらたかな神社ですので、キツイ神罰もあるそうです。
私ごとですが、一度ひどい目にあったことがあります。
大好きな友人が乳癌とわかった時の事です。
なんとか治して欲しいと必死でご祈願に行きました。
私も動揺していたので、病気平癒に必死でした。
参拝の後、引いたおみくじが、なんと凶でした。( ̄◇ ̄;)
この御神籤を引いた者は、今から衰運の極み‥みたいなことを書いてありましたね。
なぜだ、どうしてだ、自他の愛で祈っているのにと絶望しましたね。
あの時ほど、参拝しなければよかった、と思ったことはありません。
三輪の神様とすれば、取るに足らない小さな個人の祈りだったのでしょうね。
天下安泰、皇室の安寧、日本民族の隆盛、世界平和などの大きな祈りを待っている神様だそうです。
個人の些細な願いなんかで、動揺して祈るなと云う事だったのでしょうか。
半年くらいどん底でしたね、気分的に。
しかし今なお、その彼女は元気に生活しています。
願いは聞いてくれたのでしょうね。
三輪素麺の伝播について
三輪は三輪素麺で全国に名をはせる地域です。
それは、三輪の神様のお働きによるものだろうと思います。
江戸時代には、お伊勢参りに全国から人々が集まっておりました。
その帰りに三輪に寄り素麺の技術を習得して帰っていったそうです。
兵庫県の揖保乃糸や小豆島の素麺産業はそのなごりと思われます。
まとめ
伊勢神宮、出雲大社に次ぐ大きな神様であるので、大きな祈りを喜んでくれるそうです。
ご神徳はオールマイティーであるが、特に物の気を抑える神力は抜群です。
また、お金、特に資金繰りに絶大なる守護を与えてくれるそうです。
この神社ほど霊能者が訪れる所はないとも言われております。
蛇の嫌いな人は参拝し難いところです。