皇室を守った和気清麻呂の故郷を素通りして後悔、実は藤の花を見たかった。

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ゴールデンウィークに小豆島から米子観光に行く事にしまた。

車を出す友人の都合で、大部からフェリーで日生に、そして米子にドライブです。

日生からは一般道で津山に行き、ここから高速道路に乗ります。

一般道は、ほぼ吉井川沿いの道を北上する事になります。

そして道中に和気町がある事に気付いたのです。

岡山県和気町とは?

JR、高速道路が町の中心をとおり、関西へのアクセスが非常に良い地域です。

車での関西圏へのアクセスは特にいいのです。

高速道路を利用すれば、1時間半で神戸、2時間で大阪中心部に到着します。

また、JRを利用した場合、和気駅から約30分で岡山駅に到着します。

東西南北どこにでも行きやすいため、自然豊かなベッドタウンとして人気があります。

和気町は、かつて皇室の危機を救った和気清麻呂の出身地でもあります。

そして、春のシーズンの藤の花がとても有名です。

和気清麻呂とは?

現在の岡山県和気町出身の貴族階級の官僚です。

764年に発生した藤原仲麻呂の乱では孝謙上皇側に味方したようです。

766年に従五位下に叙爵し、近衛将監に任ぜられました。

彼は、宇佐八幡神託事件で活躍します。

教科書ではサラッと書かれていますが、道鏡の陰謀を暴いた事で陰湿に報復されます。

地方に左遷、流罪にされ、名前も別部穢麻呂に変えさせられます。

770年8月に称徳天皇が崩御して後ろ楯を無くし道鏡が失脚します。

それに伴い、その9月に清麻呂は大隅国から呼び戻されて官界に復帰します。

清麻呂の祖先の墓の大木が、清麻呂の配流中に伐採されてしまっていました。

この事情を上表したところ、清麻呂を美作備前両国の国造とする旨の詔が出されます。

出身地の岡山県和気町には、和気氏一族の氏神である和気神社があります。

もちろん和気清麻呂・和気広虫が祀られています。

ゆかりの寺として実成寺もあります。

なお、宇佐へ配流の際に猪によって難事を救われたとの伝説が伝わっていることから、

護王神社や和気神社では狛犬の代わりに「狛猪」が置かれています。

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ちなみに、三峯神社では狛犬の代わりに狼が祀られています。

同様に、狼がヤマトタケルを助けた事に由来するそうです。

よく似た伝説だと思いますね。

皇室の危機!宇佐八幡神託事件とは?

769年7月頃に宇佐八幡宮の神官を兼ねていた大宰府の主神(かんづかさ)・中臣習宜阿曾麻呂が宇佐八幡神の神託を奏上します。

称徳天皇が寵愛していた「道鏡を皇位に就かせれば天下太平になる」というものでした。

道鏡はこれを聞いて喜び、自らが皇位に就くことを望みました。

称徳天皇は神託を確認するため側近の尼僧・和気広虫を宇佐八幡宮へつかわそうとしました。

しかし、虚弱であるため、代わりに弟の清麻呂をして神託の真偽を確認しようとしました。

清麻呂は出発前に、道鏡から吉報をもたらせば官位を上げる旨をもちかけられたといいます。

一方で、道鏡の師である路豊永は、道鏡が皇位に就くようなことがあれば、身を隠そうと思う旨を伝えられるのです。

清麻呂は主君のために八幡宮に参宮しました。

道鏡を天皇にして良いかどうかの問いに対して、神が禰宜の辛嶋勝与曽女(からしまのすぐりよそめ)に託宣、宣命を聞くことを拒みました。

清麻呂は不審を抱き、改めて与曽女に宣命を聞くように願い出ます。

与曽女が再び神に顕現を願うと、身の丈約9mの満月のような形をした大神が出現しました。

清麻呂は与曽女とともに大神の神託、

「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人(道鏡)は宜しく早く掃い除くべし」

を朝廷に持ち帰り、称徳天皇へ報告しました。

清麻呂の報告を聞いた称徳天皇は怒り、清麻呂を因幡員外介に左遷します。

女帝称徳天皇は道鏡を天皇にしたかったのかも知れません。

皇位継承問題での権力闘争で皇室が混乱していたようです。

しかし、宇佐八幡の神はNGを出したのです。

当たり前の事ですが、正直に報告したために恨まれたのです。

今の官僚であれば、忖度と称して…になるかも知れません。

彼は恨まれ貶められることも予想はしていたはずですが、正直に報告しました。

名前も別部穢麻呂(わけべ の きたなまろ)と改名させられて大隅国へ流罪になりました。

道鏡は配流途中に清麻呂の暗殺を試みましたが、急に雷雨が発生して辺りが暗くなったり、

殺害実行の前に急に勅使が派遣されたりと、企みがことごとく失敗したといいます。

きっと宇佐八幡の加護があったのでしょう。

吉田松陰も言っています。

かくすればかくなる事と知りながら、やむに止まれぬ大和魂

皇統や皇室、日の本の国を思う心が、非難を承知で正直に報告させたのでしょう。

最後には冤罪も晴れ、復権するのですから、めでたしめでたしです。

まとめ

清麻呂は楠木正成などとならぶ勤皇の忠臣と見なされています。

戦前には十円紙幣に肖像が印刷されていました。

皇室、日本国にとっては本当にありがたい官僚だったと思います。

岡山県和気町の和気神社境内など、各地に銅像も建てられています。

皇統の断絶という日本最大の危機を救った和気清麻呂です。

そんな偉人の故郷を、吉井川沿いに素通りしてしまいました。

本当に勿体無い事をしたなと思います。

藤の花も有名なんですよ、時間を作ってじっくりと行きたい所です。

実は個人的には藤の花を見に行くプランも考えていたのです。

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