伯耆富士、大山は出雲くらい凄いパワースポットらしい、その正体は?ジャージー牛乳にヒントが…

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神社参拝でパワースポット出雲大社にはちょくちょく行きます。

四国から車で移動すると、蒜山高原あたりから伯耆富士、大山が見えてきます。

関心がなかったので、これまでは大山は眺めるだけでした。

今年、とある会合が大山のスキー場でありました。

これで初めての大山に行きました。

大山は高速道路から見ると富士山みたいにみえます、それで伯耆富士というのですね。

スキー場から見上げると、なんか尖ってゴツゴツして怖い感じがします。

少し興味が湧いてきたので、さっそく調べてみました。

そして、もっと早く大山のことを知っておけば、行っておけばと後悔しました。

大山鶏や牛乳、チーズ、果物など美味しいもの満載の地域でしたね。

大山とは

大山は中国地方の最高峰です。

伯耆大山、伯耆富士とか角盤山(かくばんざん)とも呼ばれています。

大山寺縁起によると、

天空はるかかなたの兜率天の角が欠け、大きな盤石が地上に落ちてきました。

盤石は三つに割れ、ひとつは熊野山、ひとつは金峰山、もう一つが大山になりました。

それで大山は角盤山と呼ばれるのです。

大山寺

2018年は大山開山1300年祭だったそうです。

奈良時代養老二年(七一八)出雲の国玉造りの人で依道と云う方によって山が開かれました。
伝承によると、
依道がある日、金色の狼を追って大山に入りました。
そして、狼を射殺さんとした時に、地蔵菩薩が現れました。
それで、信心の心がにわかに起こり弓矢を捨てました。
狼はいつの間にか老尼と化し依道に話しかけました。
この出来事により依道はすみやかに出家します。
そして、仏道の修行をしこの山に地蔵権現を祀ったと云います。
別の文献ではではなく鹿との記述があります。

大山の信仰

この地蔵権現は大智明菩薩大智明権現大智明大権現と呼ばれています。
大山地方では、昔から「死んだのちに御霊は大山に帰る」と信じられていました。
これは大山に限ったことではありません。
古来から
人は死ぬと近くの神奈備山(神の鎮座する山)に帰り、そこから子孫や村を見守る
と信じられていました。
大山は有名な霊山であり、修験道の聖地でしたので、より一層信仰される山になったのです。
備中、備後の人々も、寺家の宗派を問わず、死者の霊は四十九日までに、必ず一度は
「だいせんさん」で供養する慣わしだったそうです。

地蔵権現とは

地蔵菩薩は仏様ですが、地蔵権現は神様です。

当時は仏様が化身して神様として現れると信じられていました。

それが権現、仮に現れると意味で、その思想を本地垂迹説と云います。

明治になり廃仏毀釈運動で、神仏が分離されました。

そこで、神仏融合のお寺さんは、寺社と神社に別れたのです。

大山寺は大神山神社と天台宗別格本山の角磐山大山寺に分離されました。

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大神山神社

仏教が日本中に広まってくると、その影響下に神職と僧侶が同じく神様に奉仕する「神仏習合(混淆)」の時代となりました。

平安期には大山にも仏教が入ってくるようになました。

僧侶は大神山神社の御祭神である大己貴命に地蔵菩薩を祀って「大智明権現」の名を称して神仏を共に崇めていました。

この奥宮の地は標高千メートル近い高地で、冬には積雪が数メートルにも達する所です。

冬季の奉仕には困難な場所でした。

そこで冬でもお祀りが出来るように、数㎞下がった大神谷(現在の伯耆町丸山地内)に社を建て、これを冬宮と称しました。

本来の大山中腹の社は夏宮としました。

その後、手狭にもなったので、さらに下がった福万原(米子市福万)に移転しました。

その後この福万原の社は戦国時代になると戦禍や社会の変化で衰退します。

天正年間(安土桃山時代、十六世紀後半)に吉川広家により大本坊(米子市尾高地内)の地に社殿を築きました。

しかし、吉川氏が岩国に移封された後、荒廃していきました。

そこで氏子であった中間庄の豪農郡八兵衛が神夢を見ます。

場所を神夢の尾高の地に移し、承応二年(1653年)遷座をします。

そこを冬宮としたのが現在の大神山神社本社です。

まとめ

昔から、大山は神居ます山(神奈備山)として信仰されていたようです。

時代の移り変わりで仏教が隆盛し、地蔵菩薩信仰が入ってきたようです。

そして当時の本地垂迹説といわれる、仏が神に化身して権現になっているとの思想が、信仰が浸透していきました。

要するに、仏様が神様より上位に来る思想です。

明治になり、反本地垂迹説が主流となり、神道の神社としての認識も再確認されてきます。

反本地垂迹説とは、神が元であり、神が化身して仏になっているという思想です。

大神山神社の御祭神は大己貴神(おおなむちのかみ・奥宮)

          大穴牟遅神(おおなむぢのかみ・本社)

大山の神は出雲の神、大国主神のお若いときのお名前と同じです。

主祭神の大己貴命は、お若い時に大山を根拠地として国土経営の計画をしたのでしょう。

「神祗志料」左比売山神社の条には

「云々、昔大己貴命、少名彦名命、須勢理姫命、伯耆国大神山に御坐、出雲國由来郷に来坐して云々」

と書かれています。

神代の時代には大山は出雲国の一部だったのでしょうね。

それで、大国主命さまが、大山の山頂に立って雲の上から、国民の平安を守っている。

そう思うのですが、いかがでしょうか?

それと当時は蒜山も大山と一括りの霊山だったと思います。

しかし、ジャージー牛がいたとは思えません。

だから美味しいジャージー牛乳は飲んでいませんよね。

<注釈>

じんぎしりょう【神祇志料】

《大日本史》のうちの〈神祇志〉編纂準備のため記された書。17巻。1873年成立。栗田寛(1835‐99)著。彰考館所蔵の《日本書紀》以下500余部の諸書にあたって記した書で,第1巻より第4巻までに天地開闢より後小松天皇の代までの神祇の沿革を概述,第5巻に恒例・臨時の祭儀について,第6巻より第16巻までに延喜式内社の鎮座地,由緒,沿革等について記すほか,式外の諸神について論証し,第17巻に宮殿の制として神祇官,伊勢神宮,出雲大社について記し,また神官,神官把笏,叙位,太占についても論及している。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版

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