法隆寺の七つの不思議には厩戸皇子の秘密が隠れているか?

みんな知ってる法隆寺、奈良の名所旧跡で、修学旅行の定番です。

聖徳太子ゆかりのお寺と云われています。

聖徳太子は諡(おくりな)で生前は厩戸皇子と申し上げます。

「十七条憲法」や「冠位十二階」を定めた推古天皇の摂政でした。

しかし、蘇我馬子にイジメられて49歳で早死にしたとも云われています。

一説では政敵(蘇我馬子とか)に毒殺されたとの陰謀説もあります。

聖徳太子のお妃の一人が蘇我馬子の娘さんだったそうですから。

法隆寺は、奈良県北西部に位置する斑鳩町にあります。

大阪から電車1本で行くことができ、約30〜40分(JR難波〜法隆寺)で到着します。

駅から法隆寺へは徒歩約20分、門前までのバスも出ています。

しかし、私が行くとすれば車で行きます。

コロナが収まるのが、この秋以降になりそうですから、寒いもんね。

法隆寺は聖徳太子の邸宅の跡地に建立さてたとの説がありますね。

聖徳太子の怨霊を鎮めるために建立されたらしいです、都市伝説?

天皇制を確立するために蘇我氏など豪族と対立していたのでしょう。

聖徳太子の謎は多くありますが、歴史の闇の中です。

そこで、法隆寺観光で楽しめる七つの不思議がありますので紹介します。

奈良の法隆寺のすべての不思議を集めてみたら、7つ以上になってしまうかもしれません。

建築物についても、火災や増改築が行われていて分からないことだらけです。

仏像や壁画についても謎が多いようです。

蜘蛛の巣がはらず、雀も糞をかけない

法隆寺の伽藍には、蜘蛛の巣がはらず、雀も糞をかけない、といいます。

そかし、そんなバカな、実際には蜘蛛の巣も鳥の糞もあるようです。

この噂は「法隆寺を常に清らかに保とう」という精神から発生したものでしょう。

南大門の前に鯛石と呼ばれる大きな石がある

南大門の階段の下に大きな鯛の形をした「鯛石」というものがあります。

昔、大和川が氾濫した際に、大和盆地全体が洪水の被害を受けました。

その時、法隆寺の前まで洪水が迫った際に鯛石の前で水が止まったといいます。。

実際には寺が高台にあったのが理由とみられている。

鯛石には、他にも諸説の伝説があります。

昔、洪水があったときに海から大和盆地に一匹の鯛が流されてきました。

その鯛が水面から飛び上がって、着地したこの石の上でした。

そして、石にに飲み込まれて洪水を止めたという言い伝えもあります。

五重塔の上に鎌が刺さっている

法隆寺の五重塔の頂の上には、屋根の相輪(そうりん)にかかる4本の鎌があります

この鎌には「聖徳太子の怨霊封じ」や「落雷よけのお守り」という噂があります。

ちなみに重塔の相輪が鎌の形をしているお寺は法隆寺だけです。

なぜ、こんなところに鎌が4本もかかっているのだろう。

「法隆寺五重塔の謎 相輪の鎌 雷除けの呪(まじな)い?」ですね。

この鎌を作ったのは堺市にある水野鍛錬(たんれん)所です。

堺は16世紀後半、包丁の製造で栄え、日本の刃物産業の中心地でした。

水野鍛錬所は明治5年(1872年)創業の日本刀・庖丁を鍛える工房です。

戦後の法隆寺の大改修の時、「魔除け鎌」を鍛造し奉納しました。

1300年前のものも含まれる法隆寺の古釘を集めて作られています。

高さ約1.2メートルの鎌で、手に持つとずっしり重みを感じるといいます。

お店に行けば、この「魔除け鎌」を店内で拝見することが出来ます。

水野家には「佐伯定胤(じょういん)五重塔鎌表白」という古文書が残されています。

法隆寺123世管長だった佐伯定胤師が五重塔の鎌のいわれを書き残したものです。

内容はおおよそ以下の通りです。

鎌倉時代、五重塔に落雷があり、火災が発生した。幸い4人の大工が死を決して消し止めた。その時、西大寺の興正(こうしょう)菩薩・叡尊(えいそん)が駆けつけ、北室院に泊まり込んで対策を練った。
叡尊は木簡に墨書して護符(お札)とし、五重塔の各層に安置するとともに、雷除けのため鉄の鎌4本を相輪最下部の四方にかけた。
しかしその後600年を経た今(昭和22年当時)、4本の鎌がたった1本になっているのは大変残念だ。今回の大修理で本来の形に戻すため、堺の名匠・水野正範に鎌の製作を依頼する。
*   *   *
法隆寺では昭和9年に昭和の大修理が始まり、水野鍛錬所2代目の正範さんがその腕を見込まれて刀工として参加した。
建物の解体修理のときに集められた古釘(ふるくぎ)を使い、鎌を鍛えて昭和27年に奉納した。鎌は魔物とされる雷を怖がらせる雷除けの呪(まじな)いのようだ。鎌は予備を含めて8本作られ、同鍛錬所にはあるのはそのうちの1本である。
鍛錬所の奥には、昔ながらの工房が残されている。鞴(ふいご)を使い、代々伝わる鍛錬法に従って火造り・鍛造が行われる。五重塔の鎌も、その古式を踏まえて作られた。
魔除けの鎌は300年ごとに作り変えられると伝わるが、水野さんによれば、それは正確でないようだ。
この鎌は今後100年、200年にわたって法隆寺五重塔に燦然(さんぜん)と輝き、塔を守ってくれることだろう。

不思議な伏蔵がある

伏蔵(ふくぞう)とは、お寺などで地中に埋めてある宝の蔵のことをいいます。

法隆寺には大湯屋の表門の前などに、しめ縄で囲まれた場所が3か所あります。

そこが伏蔵となっています。

一説では、「鎮壇具(ちんだんぐ)」が納められていると言われています。

金銀や鏡などの鎮壇具が納められていると考えられています。

鎮壇具とは寺院を建立する時に,地鎮のために埋納される品のことです。

金,銀,真珠,などの七宝や鏡鑑など除魔の呪術的効果がある物などです。

もし法隆寺が崩壊しても再建する財を置いているとの説もあります。

法隆寺の蛙には片目がない

「因可池(よるかのいけ)のカエルは片目がない」というものです。

可因池は、かつて聖徳太子が住んでいたという斑鳩宮のすぐそばにあった池です。

ある日、聖徳太子が学問にいそしんでいた時に、因可池のカエルがあまりにもうるさく鳴いたので、静かにするように筆で片目をつついたところ、この池にいたカエルがすべて片目だけになってしまったという言い伝えがあります。

斑鳩宮は現在夢殿が建っている場所にありました。

夢殿の礼盤の裏側が汗をかく

法隆寺の夢殿の救世観音像の前には、礼盤(らいばん)と呼ばれる、高座があります。

この礼盤の裏側が汗をかく、というのが七不思議のひとつです。

この噂は不思議が解明されていて、今では何も不思議なことはありません。

汗をかく礼盤の謎は、堂内の湿気で結露が発生して、その結果、礼盤から水が垂れます。

つまり汗をかくということです。

雨だれが穴をあけるべき地面に穴がない

法隆寺の建物の周りの地面には雨だれがない、という言い伝えがあります。

金堂、講堂、五重塔など、法隆寺の建物には雨桶がないので、雨が降れば雨だれが落ちます。

しかし、「雨だれの跡が残らないような工夫がされている」のです。

法隆寺では、基礎部分の雨だれが落ちる箇所には大きめの石が敷き詰められています。

この大きい石の部分に雨だれが落ち流ので跡がつかないのです。

屋根も雨の流れを和らげる構造になっています。

実際には建てられている土地の水はけのよさをアピールしてる言い伝えかもしれません。

番外、教科書検定の不思議

学生時代に習った歴史ですが、内容が変わって来ているそうです。

鎌倉幕府成立は1192年ではないそうです、今さら言われてもね。

聖徳太子もそうなんですよ、諡だから厩戸皇子が正解だそうです。

聖徳太子に至ってはその存在自体を危ぶむ説があるそうです。

そんなバカなと思うのですが、やっぱりバカですね。

まとめ

法隆寺、聖徳太子の飛鳥時代は天皇制を確立する大切な時代です。

大化の改新に至るまでの下準備の時代です。

有力豪族を抑え、天皇を蔑ろにしない政治を模索していた時代だと思うのです。

聖徳太子は思想的に仏教を推し進めていたと聞いています。

そんな中、法隆寺という仏教芸術に太子の思いが詰まっているような気がします。

古代天皇はどちらかというと、シャーマニズムに基づいて国を納めていました。

もちろん厩戸皇子も卓越したシャーマンだっただろうと推察します。

いわゆる蝶々天才だったのでしょう。

聖徳太子の未来記というものが有るそうです。

未来のことが書かれているそうです。

全てを見通した聖徳太子が残した法隆寺、不思議でないわけがないですね。

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