ジャガイモ不作を乗り越える、ポテチの湖池屋 コイケ旋風!

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コイケ旋風

2017年夏に、スナック菓子業界では「コイケ旋風」が起きていました。

ポテチの湖池屋が「イケイケ!GOGO!湖池屋」をスローガンにプライドポテトを売り出し、じゃがいも不作の中、発売4ヶ月で2千万袋、約20億に売り上げを記録します。

日本で初めてポテトチップスの量産化に成功したのは湖池屋です。

スナック菓子の老舗りながら、独創的な新商品でヒットを続けています。

よく知られているのはユニークなテレビCMです。

ドンタコスおじさんやポリンキーのスリーポリンキーズです。

CMは今でも皆さんの記憶に残っています。

今回の湖池屋プライドポテトは「IMO100」がキーワードです。

歌のうまい無名の女子高生が魂を込めて「100%日本産のイモ~♪」と熱唱するのです。

湖池屋の創業

湖池屋の創業は1954年に小池和夫氏が甘納豆屋から独立したのが始まりです。

最初は上野公園付近でスナック菓子の販売をしていました。

しかし、「美味しいものを沢山の人に食べてもらいたい」との思いから、製造業に転身します。

この時に屋号を小池屋ではなく「湖池屋」とします。

「生まれ育った諏訪湖の様に大きな会社にしたい」との思いがあったのです。

諏訪湖のほとりには上社、下社、春宮、秋宮の諏訪大社があります。

諏訪大社の四隅に立てる柱を八ヶ岳から切り出し、お宮まで運ぶ神事を御柱祭と言います。

諏訪の男たちは7年に一度の御柱祭に命を懸けます。

諏訪の男である小池氏は、おいしさには命を懸けるほど徹底的にこだわります。

ポテトチップスで大飛躍

小池や飛躍のきっかけは、飲み屋でポテトチップスに出会ったことでした。

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アメリカでは普通のスナックでしたが、日本では大変珍しかったのです。

様々な工夫をして1962年に「湖池屋ポテトチップスのり塩」を発売します。

これが大ヒットして町のお菓子屋から脱皮します。

そして、1967年に日本製のオートフライヤーで量産化に成功するのです。

その後も高鳴る需要に対応するため最新式の機械を導入します。

大手メーカーの参入

しかし、何度も苦しい時代がありました。

特に苦しかったのは、大手メーカーの参入です。

なにしろ資金力が違うので、小売店の対応も違います。

ですから、小池和夫氏は長男の入社を躊躇しました。

しかし、長男の孝氏は父の苦境を助けるために入社します。

「他社が真似のできない新商品で戦う」という方針で苦心します。

そこで出来上がったのが、辛くておいしいポテトチップス「からムーチョ」です。

発売当初は、こんな辛いの売れないと苦戦しますが、大手コンビニから話が来ます。

これが若者に「罰ゲームみたいに辛い」と人気が出ます。

ヒーばあちゃんが「ヒーッ」と叫ぶCMも話題になり、苦境を脱するのです。

安定した人気のロングセラー

1990年代はパッケージの刷新や新フレーバーの展開で売り上げを回復していくのです。

商品の美味しさにこだわりながら、そこからもう一歩踏み出していかに消費者に楽しんでもらい、世間で話題にしてもらえるかが大事だと言います。

現在湖池屋は3代目社長佐藤章氏の体制となり、「昔の創業時代に立ち戻り、現代における最高の味を実現しよう」とすべての工程を見直し、おいしさにこだわって邁進しています。

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