日本酒の「獺祭 」はロマネコンティのようだとパリで評判!山口の酒蔵旭酒造

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驚くべき酒「獺祭」

旭酒造の大吟醸酒「獺祭(だっさい)」は、日本のロマネコンティと呼ばれ、

パリの三ツ星レストランのワインリストに掲載されています。

安倍総理がオバマ大統領にプレゼントして話題になりました。

今でこそ、日本を代表する獺祭ですが、それが出来あがるには、想像も出来ないドラマが有ったのです。

獺祭の由来は、旭酒造の地名が「獺越(おそごえ)」であったことから「獺」の文字を使用して「獺祭」という銘柄になりました。

日本酒の現状

昭和49年、日本酒離れが進み、40年前の消費量の3分の1まで減ってしまっていました。

その日本酒業界が斜陽産業になっている中、 桜井博志氏は、父親の死により、急遽、家業の旭酒造を継ぐことになりました。

ところが就任早々、会社の置かれている厳しい現実を知るのです。

旭酒造は、焼酎ブームのあおりを受けて出荷量が激減し、衰退の一途を辿っていました。

また、得意先である地元マーケットは、過疎化で縮小する一方です。

岩国市の中心部への進出はおろか、市街地に近い高森や玖珂に進出しても、地元の酒蔵とのシェア争いでは、まったく勝ち目がありません。

値引きキャンペーンや安価な紙パック製品の開発もしましたが効果はありません。

「あがくほど沈む泥沼」 と言われる状態でした。

苦悶する桜井氏、従業員たちはお手上げです。

八方塞がりの中、一つの方針を決めます。

「選択と集中」

彼は、小さな酒蔵にしか出来ないことを模索し、売れない普通のお酒を棄てます。

大吟醸酒を造ることにしたのです。

これは大吟醸が、小規模な仕込みでないと高品質を保てないため、

小規模な仕込みしかできない旭酒造に適しているという考えです。

ただただ味わうための美味しいお酒の製造に専念して、味で勝負するという選択でした。

業界の古き習わし

 しかし酒蔵は、伝統的に製造と販売が完全に分離しており、オーナーと言えど酒造りを請け負う職人集団の杜氏に、どのような酒を造るか指図することはご法度でした。

それでも桜井氏は、杜氏に大吟醸酒造りをお願いし、「難しいから」「大変だから」と嫌がる杜氏を何とか説き伏せます。

そして工業技術センターの河村氏による「静岡県の大吟醸造り」レポートを参考に、杜氏の酒造りにどんどん口出しをしていきました。



山田錦

桜井氏は、大吟醸に最も適したお米「山田錦」の調達を考えます。

しかし、山田錦は、山口県の指定品種でないため、あまり作られていません。

何とか契約農家を見つけるも、山田錦は晩成のため、収穫前に雪が降って駄目になってしまいました。

また、田植えや収穫時期など近隣の田んぼと歩調が合わせられず、農業用水の過不足の問題も発生し、結局、農家との契約は解除になってしまいました。

 その直後、たまたま父が貸していた3300坪の田んぼが戻ってくるのですが、山口県の経済連(農協の上部組織)が、農家でない新参者の旭酒造に、山田錦の種もみを出し渋ります。結局、山田錦の自社栽培は頓挫してしいます。

他県の農協

ところが、「捨てる神あれば、拾う神あり」

彼の試行錯誤を聞きつけた、兵庫県みのり農協が、山田錦を提供したいと申し出てくれます。

これが後の、全国からの調達ルート構築に繋がっていくのです。

こうして次々とピンチを乗り越えて体制を整え、試行錯誤を重ね大吟醸酒を造り、徐々に危機的経営状態を脱していきます。

経営の分散化で失敗

平成2年、経営状態がひと段落したので、当時、流行っていた地ビールの生産を試みました。

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これは、日本酒造りが冬のため、夏の地ビールと組み合わせて、生産性を向上させようとした試みです。

そして、地ビール生産の認可に必要な、地ビールを出すレストランもオープンさせました。

ところが新規事業は、僅か3ヶ月で行き詰ってしまいます。

そして、年商の約半分の2億円もの損失を出してしまいました。

風評被害

一時は銀行残高ゼロが続き、東京の大学に通う息子の教科書代すら仕送りできません。

更に悪いことに、旭酒造は倒産するとの噂が駆け巡り、杜氏が他の酒蔵に移ってしまったのです。

酒造りに介入し過ぎたことを杜氏が不満に思っていたことも一因でした。

酒造りする杜氏のいない酒蔵になってしまいました。。

絶体絶命のピンチ

桜井氏は、開き直りました。

杜氏制を廃止して、自分たちで造った方が遠慮なく新たな酒造りに挑戦できると、ポジティブに考えるようになります。

結果的に、この脱・杜氏制は、伝統的な日本酒造りを一変させました。

世界に冠たる日本酒「獺祭」の開発へと繋がって行きます。

常勤社員が酒造りをする以上、杜氏のように冬場の年1回だけ酒造りするのでは、経営が成り立ちません。

そこで、一年中酒作りが出来るように、酒蔵を摂氏5度に保つ空調設備を導入しました。

結果、いつでもお酒を仕込め、その生産能力は2倍を超えました。

杜氏を超えるもの

日本酒の仕込み方と出来具合を数値データ化して確認しながら、次の仕込み方法を微調整するなど、具体的な数値による生産ノウハウを着実に確立していきます。

更に、年間約700回にも及ぶ仕込み回数は、1年間で杜氏の一生分に相当する仕込み量という圧倒的な経験を積ませてくれます。

それは、数値では表せない杜氏の持つ感覚的な技量までも、体得していきました。

このように、先入観や固定概念をとっぱらい、伝統的な方法に束縛されず、試行錯誤を繰り返し、オリジナルな方法を確立します。

獺祭の誕生

山田錦の表面を77%削り落とす「磨き二割三分」の精米によって、大吟醸酒「獺祭」を完成させるのです。

数々のピンチから編み出されたノウハウによる「獺祭」は、大ヒットして純米大吟醸の出荷量トップとなり、世界20ヶ国で販売されるまでになります。

こうして山口県岩国市の山奥にある、過疎集落の小さな酒蔵で造られた、芳純でフルーティーな日本酒「獺祭」は世界を魅了していったのです。

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