弘法大師空海の師匠恵果は二系統の密教を統合した真言七祖の大阿闍梨

仏事
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弘法大師空海の師匠は真言七祖の恵果という中国唐時代の大阿闍梨です。

長安の青龍寺で多くの弟子を持ちながらも、真に密教を伝える弟子を渇望していました。

また、一方で唐時代の皇帝代宗・徳宗・順宗と3代にわたり師と仰がれていました。

 

当時、密教には「金剛頂経」と「大日経」に基づく二つの思想がありました。

恵果は、「金剛頂経」の密教と『大日経』系の密教のを両方を納めた大阿闍梨です。

 

金剛智が金剛頂経を著し、弟子である不空が漢訳し金剛頂経の密教を受け継ぎます。

大日経は善無畏が漢語に翻訳して唐に伝えました。

師匠が不空である恵果は金剛頂経に加え、大日経に基づく密教も学びました。

 

この二つの密教は呪術性の強い初期密教とは違い体系化されていました。

恵果は金剛頂経と大日経の両方の密教を統合し、新しく密教を作り上げたのです。  (瑜伽密教)

金剛頂経の密教とは

大日如来がお釈迦様の問いに対して、自らの悟りの内容と実践法を明かしています。

その悟りの内容を具体的に示したのが金剛界曼荼羅です。

その実践法の中心となるのが五相成身(ごそうじょうじん)観と云われています。

 

金剛界曼荼羅の仏様は 1461尊で全て上を向いています。

 

五相成身観とは、行者の汚れた心を、瑜伽の観法を通じて見きわめ、その清浄な姿がそのまま如来の智慧(ちえ)に他ならないことを知り、如来と行者が一体化して、行者に本来そなわる如来の智慧を発見するための実践法である。

ーWikipediaより抜粋ー

お釈迦さまも大日如来からこの修行法を示され、それに依って覚ったといいます。

五相成身観とは、即身成仏に達する観法と云われています。

第一段階は通達菩提心(つうだつぼだいしん) 自身の心は本来夜空に輝く、清浄で清涼な満月輪の様に光り輝くものですが、現実には煩悩の雲に覆われそれが隠されている、しかし厳然として自身の心にはその仏心が有る、と観法します。

第二段階は修菩提心(しゆうぼだいしん) この観法の修練を積み重ねる事により段々に煩悩の雲が晴れ、自身の心は満月輪である、と言う意識が輝きだしてきます。

第三段階は成金剛心(じょうこんごうしん) そして自身の心は単なる満月輪ではなく、本来的に備わっている秘められた能力が有る、それは自身の生命は永遠であり、その個性を以って生きとし生けるものを適切な愛で永遠に育(はぐく)んでいく、その象徴として満月輪の中に五鈷金剛杵(ごここんごうしょう)を立て、この能力を引き出し導く観法を修行します。

第四段階は証金剛身(しょうこんごうしん) この満月輪の金剛を宇宙いっぱいの極限まで拡大し、今度はそれを徐々に小さくし再び胸中に収める、いわゆる密教独特の広観斂観(こうかんれんかん)の観法をくりかえし、やがて月輪の金剛が自身の上に確証された金剛身と成ります。

第五段階は仏心円満身(ぶっしんえんまんしん) 密教で説く仏さまの備える智慧、これは大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智、それとこの四智を一つにした法界体性智の五智、これを完全に身につけ、即身成仏に達し終わるという修行法で、観法も禅定も三昧も同じようなものとみて宜しいのですが、座しておってもこれは苦行です。

ーWikipediaより抜粋ー

大日経の密教とは

『大日経』は『大毘盧遮那成仏神変加持経』の略称です。

『大日経』がインドのどこで成立したかについては定かではありません。

いつ成立したかについても多くの説があり7世紀の中ごろとみる説が有力です。

 

7世紀以後の、独立した性格を有するに至った密教を「純密」と言っています。

この純密、すなわち正純なる密教の重要なる経典の一つが『大日経』なのです。

 

『大日経』の展開する仏の世界は「胎蔵界」といいます。

これは、この経典の曼荼羅(まんだら)が「蓮華胎蔵生曼荼羅」と呼ばれるためです。

お経の内容は、大日如来が、秘密真言の心と表現と実践を説いたものであります。

 

お経の大部分は実践のための儀式の細則で、これを胎蔵法と言っています。

蓮華胎蔵生曼荼羅に描かれる仏様は414尊で全て下を向いています。

真言密教

恵果阿闍梨の密教の教義は大日如来を本仏としています。

他の諸仏・諸菩薩は大日如来に包容されて,大日如来の徳を顕現するといいます。

それを図示したものが両部曼荼羅(まんだら)です。

 

《大日経》《金剛頂経》に説くところ、三句意を修し仏・菩薩と感応する。

それらを即身成仏すると説いています。

 

弘法大師空海によって開かれた真言密教は、神秘体験の宗教の様相が強いのです。

神秘体験とは、不立文字、言葉で説明できるものではありません。

直接的に心を揺さぶる不思議な感動や感激といった感覚としか言い得ません。

 

眼では見えない、耳にも聞こえないが、それは厳然と在り、魂に響いてくる。

自然と滂沱の涙に溢れ、嗚咽を禁じ得ない。

 

その体験が密教では根本にあり、すべてはこの神秘実在の体験から派生するそうです。

真言密教は、人間の宇宙観、人生観の至極を窮め、喜びと歓喜が湧いて尽きない。

密教は、求道者自らが仏となり、光源となるのを目的とする教えでしょう。

まとめ

弘法大師空海と恵果阿闍梨の出会いは誠に奇跡的なものでした。

空海があと半年で会うのが遅ければ、真言密教は日本に導入されていませんでした。

 

恵果阿闍梨にとって空海は待ちに待ったお弟子さんだといいます。

恵果の持てる密教の真髄を伝授できる逸材を求めていたからです。

出会って半年、恵果阿闍梨が亡き後、葬儀を取り仕切ったのが空海でした。

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