波佐見焼(はさみやき)は有田焼の陰に隠れて知名度は高くなくブランドとしては無名と言っていい焼ののでした。この波佐見焼が脚光を浴び人気になってきた秘密を説明していきます。
波佐見焼(はさみやき)は、長崎県東彼杵郡波佐見町で作られている陶磁器のことで、戦国時代後期に誕生した伝統工芸品です。現在も日用食器として親しまれています。
波佐見焼の特徴は、白磁と透明感のある呉須の藍色が美しいことです。また、染付の繊細で深い味わいが楽しめる白磁と、鮮やかな色合いやのモダンなデザインが魅力です。
波佐見焼は、陶石(とうせき)と呼ばれる岩石の粉を高温で焼き上げる磁器を中心にしています。粘土を成分とする陶器に比べて丈夫で割れにくいという特徴があります。また、器自体も非常に軽く、耐久性も高いため扱いやすいでしょう。
現在の波佐見焼は、伝統的な要素とモダンなデザインの融合が特徴です。透明感のある白磁と呉須の絵付けが、古典的な美意識と現代の洗練されたデザインを見事に調和させています。そのため、和食はもちろん、洋食や中華、デザートなど、多様な料理との相性が抜群です。
2024年の波佐見焼陶器市
2024年の波佐見焼陶器市は、2024年4月29日~5月5日に開催予定です。波佐見陶器まつりと波佐見焼あちこち陶器まつりがあり、波佐見陶器まつりは毎年ゴールデンウィークに開催され、波佐見焼あちこち陶器まつりは秋ごろに開催されます。
波佐見陶器まつりは、長崎県波佐見町で開催される波佐見焼の祭典で、年間30万人が訪れる春の風物詩です。波佐見やきもの公園で開催され、公園内の複数のテントに多くの窯元や陶器展が集まります。
波佐見焼は400年もの歴史を持ち、つるりとした手触りが特徴のひとつです。波佐見陶器まつりでは窯元・商社約150店が大集合し、B品など普段よりも安く購入できます。
2023年の様子を紹介したYouTubeを載せておきます⇓
波佐見が焼き物産地になるまで
きっかけは豊臣秀吉?転機となったのは、1592年から1598年にかけて行われた、豊臣秀吉による朝鮮出兵、「文禄・慶長の役」。この戦いは別名「焼き物戦争」とも呼ばれ、各地の大名たちが、焼き物の高い技術を得るために朝鮮からたくさんの陶工たちを連れ帰ってきました。
大村藩も例外ではなく、朝鮮から連れ帰った陶工たちと波佐見町村木の畑ノ原、古皿屋、山似田の3か所に連房式階段状登窯を築き、1599(慶長4)年、焼き物づくりを始めた。これが波佐見焼の始まりになります。
その後、波佐見町東南部にある三股 (みつのまた) で陶石が発見され、1630年代になると本格的に陶器生産から磁器生産へと移り変わっていきます。1665年には皿山役所という、焼き物を管理する役所が三股に設置され、藩をあげての殖産政策が推し進められて波佐見焼は地場産業としての地位を確固たるものにしていった。
17世紀半ばには、中国で起きた内乱の影響で、中国産の焼き物の輸出が中断します。その代わりとして波佐見焼を含む肥前の焼き物に白羽の矢が立ち、東南アジアを中心に輸出され、波佐見焼の窯の数も職人の数も一気に増えていったのです。
有田焼と波佐見焼、それぞれの道
明治以降は鉄道の発達により出荷駅がある有田から全国に流通していたため、2つの産地の磁器は合わせて「有田焼」としてその名を全国に広めていきます。
そのため有田焼として流通したものの中には、実はたくさんの波佐見焼が含まれていました。また、大量生産を得意とする波佐見焼の窯元や生地屋を有田焼も共有していたという背景もあり、同じ「有田焼」として密接に関係しながら歴史を刻んでいきますが、波佐見焼は有田焼の陰に隠れる形となっていきます。
こうして2つの産地は売上を増やし続け、1980年後半のバブル期に最盛を迎えることになります。そんな有田と波佐見に、2000年頃に激震が走ります!他の産地で大きな問題となった産地偽装問題をきっかけとした、生産地表記の厳密化という波が突如押し寄せてきたのです。
産地偽造問題とは (Google 検索における生成 AI 機能より)
産地偽装問題とは、地域や産地の特産品という「ブランド」を不当に利用し、そのブランドとしての価値の無い製品が市場に出回ってしまうことで、製品の価値が低下してしまうという問題です。
産地偽装は、不正競争防止法第21条2項1号、第2条1項13号に該当し、5年以下の懲役若しくは500万円以下の罰金、または懲役刑と罰金刑の併科となります。また、代表者の他に法人に対しても3億円以下の罰金が科されることがあります。産地偽装の背景には、国産アサリの減少があると言われています。減少した分を補うように輸入アサリが増加し、今では中国など「外国産」が9割を占めています。産地偽装問題の例としては、熊本県産アサリ産地偽装事件、全農チキンフーズ鶏肉偽装事件、ミートホープ牛肉偽装事件、一色産うなぎ蒲焼偽装事件、三笠フーズ事故米不正転売事件、新潟県産米産地偽装問題、氷見うどん事件などが挙げられます。
産地を明記しなければならないことで、波佐見は有田焼の名称を使えなくなり、以降「波佐見焼」の名前で一からの再スタートを切ることになります。同じ「有田焼」として歩んできた歴史に終止符を打ち、こうして有田と波佐見は別々の道を歩いていくことになったのです。
市場認識とブランド戦略に関する問題
ブランド認識
有田焼は日本国内外で広く知られた陶磁器ブランドであり、特に海外市場では「有田焼」という名前が日本磁器の代名詞として認識されていました。一方、波佐見焼は相対的に認知度が低く、市場での存在感を示すのが難しかった。
市場混乱
波佐見焼が有田焼として販売されることにより、消費者やコレクターに混乱を招くことがありました。製品の起源や特性に関する誤解が生じ、真の産地の価値を正しく評価することが困難になる場合がありました。
地域的アイデンティティ
波佐見町は有田町とは異なる地域であり、独自の歴史、文化、製造技術を持っています。有田焼としての販売は、波佐見焼独自のアイデンティティと品質を損なう可能性がありました。
経済的影響:
波佐見焼が独立したブランドとして認識されないことは、波佐見町の経済にも影響を及ぼす可能性がありました。自地域産業の振興と地域経済の活性化には、その地域特有の製品のブランド価値を高めることが重要になります。
これらの問題を背景に、波佐見焼は独自のブランドとしての地位を確立するための動きを強化しました。これにより、波佐見焼は自身の独自性と品質を市場に訴求することが可能になり、地域産業としての自立と発展を促進することができました。
現在では、波佐見焼は日本国内外で独自のブランドとして高い評価を得ており、有田焼と並んで佐賀県陶磁器の代表として認識されています。
波佐見焼と有田焼の関係は
地理的・歴史的関係
地理的近接性: 波佐見焼は、有田町の北に位置する波佐見町で生産されます。この地理的な近接性が、両者の陶磁器産業の発展に影響を与えてきました。
歴史的背景: 波佐見焼の歴史もまた17世紀初頭に始まります。有田焼と同様、朝鮮から来た陶工たちによって技術が伝えられ、日本独自の磁器製造が始まりました。有田焼の開始とほぼ同時期に、波佐見焼も生産が始まったとされています。
製品の特徴
デザインと技法: 有田焼と波佐見焼は、それぞれ独自のデザインと技法を発展させてきました。有田焼は華やかな色絵が特徴で、一方で波佐見焼はよりシンプルで現代的なデザインや使い勝手を重視した製品が多いのです。
製品の多様性: 波佐見焼は、日常使いの食器から芸術作品まで、幅広い製品を提供しています。有田焼も同様に多様な製品を生産していますが、伝統的な色絵磁器に特化している傾向があります。
現代の市場との関係
市場の競争と協力: 両産地は、国内外の市場において競合することもありますが、佐賀県の陶磁器産業全体の発展のために協力することも多いのです。たとえば、共同での展示会の開催や、地域ブランドの促進活動などが行われています。
技術と人材の交流: 両地域間での技術や人材の交流も見られます。陶磁器製造の技術やデザインに関する知識が共有されることで、互いの製品の質の向上に寄与しています。
総じて、波佐見焼と有田焼は、互いに刺激を受けながらも独自の道を歩んでいる佐賀県の代表的な陶磁器ブランドです。それぞれに独特の魅力を持ちながら、日本の陶磁器文化を支えています。