我が家の阿弥陀如来様は先祖供養だけですか?

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我が家の菩提寺

先日、初めて檀家のお寺さんに行きました。

立派な本堂で驚きました。

地元の真言宗のお寺さんと比べて、安くつくと聞いていましたので、庵みたいな所かと思っておりました。

葬式仏教と思い込んでいたのですが、なかなか渋くていい感じです。

かといって、住職は高校の後輩に当たるので有り難みはあまりありません…。

しかし、俄然、阿弥陀如来様に興味を惹かれました。

「南無阿弥陀仏」

私は阿弥陀如来様に帰依しますという意味らしいです。

浄土宗は法然上人が踊り念仏で立ち上げた仏教の中の一宗派です。

浄土真宗は弟子の親鸞が興した宗派です。

そんなことは知ってますが、違いはなに?

たとえ話でこんなのがあります。

法然は財布が大事だといい、親鸞は財布の中のお金が大事だといっている。

両名とも同じことを言っているが、言い方が違うだけとのことです。

法然は財布=中のお金もことを言い、親鸞は入れ物の財布が大事と主張する人もいるので、中のお金が大事と言っているのだそうです。

法然よりより詳しく言っているので真宗とつけたようです。

判ったようで解らない話です。

正信偈

浄土真宗のお経のようなものです。

身内の葬儀や法事の時には必ずお唱えします。

しかし、これはお経ではありません。

お経はお釈迦様がこう言ったああ言ったを弟子が書きしるしたものです。

正信偈は親鸞がああ言ったこう言ったと書きしるしたものです。

ですから「偈」と言います。

仏の功徳(くどく)をほめたたえる詩(うた)です。

正直なにを言っているのかわかりません。

意味がわかってのお経、意味がわかっての偈だと思うのですが…。

他力本願はそんな意味ではない!

浄土真宗は、ほとほと誤解され易い宗派だなと思います。

キリスト教も同じ意味で誤解され易いようです。

私もこれを機会に調べてみてわかったのですが…。

我がご先祖様は南無阿弥陀仏と唱えれば、極楽浄土に行けると信じていたら大変です。

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仏典では「西方阿弥陀浄土には行き易いけれども、誰も行っていない」と書かれています。

お釈迦様は色々説法しています。

その中で矛盾があるのがおかしいです。

やはり業を清算し、徳分を高めないと天国には行けませんよね。

他力本願の真の意味は

他力というは如来の本願力なり
(教行信証行巻より)

如来」とは阿弥陀如来のことです。
阿弥陀如来の本願の力」とは、「阿弥陀如来のお力」のことです。

『他力』とは阿弥陀如来のお力です。
それゆえ、私たちを大安心、大満足、絶対の幸福にさせて下されるお力のことです。

やはり、判ったようで、よくわかりませんね。

やはり嘘なんだ

「唯只管に念仏を唱えれば、必ずや極楽浄土に行ける」は嘘なのか?

嘘ではないですが、何時行けるとは言ってません。

ですから、いつの日にか行けるんでしょう。

仏法を広めんがための方便だったのでしょうか。

しかし、病苦や飢餓で苦しむ人に、そんなこと言ってもわかりませんよね。

当時は救われないと思われていた人々にも、救われると説いたのは画期的なことです。

時代背景がある

浄土宗、浄土真宗が誕生したのには、当時の苦しむ衆生を救わんとした、法然や親鸞の慈悲があったのだと思います。

これまでの仏教では救われないと言われる人々をどう救うのか?

無学で文盲の貧しい衆生をどう救うのか?

法然いとっての答えが、南無阿弥陀仏と唱える踊り念仏であります。

親鸞の答えは、六角堂での聖徳太子の霊言ですね。

衆生に救済、それは阿弥陀如来様自身が請願したことなので、

阿弥陀如来様に全てお任せしたということなのでしょう。

まさしく、他力本願です。

まとめ

我が家の宗教もきっちり調べておくのも大切ですね。

私が知らないだけかも知りませんが、先人の叡智はたいしたものです。

葬式仏教と言われても、黙々と檀家さんを廻りお勤めしてくれるお坊さん、阿弥陀如来の本願を代行しているのですね。

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