安芸の宮島の厳島神社の神様は、福岡の宗像大社の神様と同じ主祭神です。
推古天皇の御代に、有力豪族の佐伯鞍職が市杵島姫命を祀る社殿を創建したとあります。
だから宗像と厳島の神社は本家と分家みたいなもので、基本的には違わないはずです。
よく似た話は、宇佐八幡で石清水八幡や鶴岡八幡がそうです。
本家と分家は、神様の働き(功徳)が異なることがある様です。
宗像大社の神様
宗像大社の祭神は宗像三女神と云われる市杵島姫、湍津姫、田心姫です。
高天原の安河原での、天照大御神と須佐之男命との誓約(うけい)の時に生まれました。
須佐之男命の剣から生まれた三女神は、須佐之男命の娘神と云われております。
天照大御神は三女神に対して、下記の如く御命じになりました。
「海外との交通の要所である玄界灘に降臨し守護神となり天孫の職務遂行を助けなさい」
それで、三女神は宗像大社の祭神として玄界灘一帯の海域を守護しておられます。
玄海町にある辺津宮の祭神は市杵島姫
海岸から11キロ離れた大島にある中津宮の祭神は湍津姫
大島から49キロ離れた沖ノ島にある沖津宮の祭神が田心姫
沖ノ島からは沢山の神宝が発掘されており「海の正倉院」とも呼ばれています。
宗像大社の創建時期は、発掘品から4世紀後半までには成立していた様です。
宗像大神は海の神、守護神、経済の神、言葉の神のご神徳を発揮されています。
天照大御神からのご命令と剣から生まれた事に起因するご神徳といいます。
この神様を勧請したのが厳島神社なのです。
厳島神社の神
古代、厳島は豪族の佐伯氏が支配しておりました。
当時の佐伯氏の長の夢枕に市杵島姫が現れて「私をお祭りしなさい」と言ったそうです。
それで宗像より三女神をお迎えしたことになっています。
平氏の総帥平清盛が厳島を崇敬したのは、ある僧が夢枕に立ったことに起因するのです。
「厳島神社を崇敬すれば、人としての位を極める」とおっしゃったそうです。
なり初めは、平清盛が安芸の守に就任した時からと言われています。
平家は日宋貿易を行い、瀬戸内海で中国と貿易を行ない巨万の富を築きます。
その関係もあり、海上交通の守り神として厳島神社を信仰したわけです。
当時の神主だった佐伯景弘は熱心に崇敬を進め、のちに清盛の臣下となっています。
厳島という呼び名も、「いちきしま」から「いつくしま」に転化したそうです。
そして、神様をいき祀るしまとか居付く島とか意を尽くす島とか解釈されています。
宗像信仰
宗像大社を熱烈に信仰する経済人の代表は出光興産の創始者の出光佐三氏が有名です。
小説「海賊とよばれた男」で描かれており、宗像大社の復興に尽力した人物です。
厳島神社を熱心に崇敬した人物といえばは、平清盛が代表です。
同じ神様なのに、出光氏と清盛では行き着く先が少し違いますね。
かたや一族滅亡、なぜなのでしょうかね。
平家一門は栄華を極めましたが、瞬く間に衰退してしまいました。
驕れる平家に鉄槌を下した神様は三女神さんなのでしょうか?
厳島は元々信仰の島で、厳しい神様もおいでになったのでしょうね。
山岳宗教と密教を極めた空海が弥山で修法をし、当時の火が綿々と受け継がれています。
まとめ
三女神は天照大御神から天孫を助け海帆守護神となる様言い付けられています。
剣から生まれたことで、切ってモノを増やす働きがあるので経済の神といいます。
また、言霊の剣とも言いますので、言葉の神でもあります。
宗像大社は古代海女族が海神として崇敬したことが知られています。
大陸文化の中継基地であり、国の守りの神として朝廷から厚く保護されていました。
さまざまな神徳や功徳があることから九州第二のパワーのある神社と云われる。
九州第一の神社は八幡神社の総本山、誉田別之命を祀る宇佐八幡宮だそうです。
祀られている比売大神は宗像三女神のことらしいので、さもありなんですね。