群馬県の下仁田町で納豆製造を営む南都隆道氏に焦点を当て、彼が家業を継ぐ決意をした経緯や、事業を軌道に乗せるまでの苦労と成果について考察してみます。南都氏の納豆は特殊な製法と厳選された材料で作られ、最終的には百貨店での販売を成功させました。
このお話で欠かせないのが、もぎ豆腐店の二代目社長である茂木稔さんっです。特に、茂木氏は南都氏のビジネスモデルに感銘を受け、彼の商品を積極的に支援し、さらに百貨店との取引を密かに手配しています。南都氏は茂木氏の教えを生かして事業を拡大しており、根底には恩返しの精神っがあるのです。
下仁田納豆
南都隆道氏は、群馬県下仁田町にある有限会社下仁田納豆の経営者です。彼はもともと家業を継ぐ意志がなく、高専卒業後に住宅機器メーカーに就職していましたが、家業が困難を極めていたことを知り、衝動的に納豆製造業を継ぐ決意をします。彼が継いだ当時、父が創業した小さな納豆屋は売上が年々減少しており、経営は困難を極めていました。
南都氏が経営を引き継ぐと、彼は伝統的な製法にこだわりつつも、事業の近代化と市場への適応を試みました。最初は引き売りから始め、その後はスーパーマーケットへの営業を試みますが、価格競争に苦戦しました。
しかし、事業を改善し続ける中で、茂木稔氏との出会いが転機となります。茂木氏からの指導を受け、品質と価値を重視するビジネスモデルにシフトし、高品質な大豆を使用した納豆製品の開発に成功します。
この変化は、南都氏が高品質な納豆を作り、それを適正価格で市場に提供することに自信を持つきっかけとなりました。彼の納豆は、独自の容器である経木を使用し、丁寧に製造されたことで評判を呼び、最終的には百貨店での販売に成功し、全国規模での取引が可能となりました。
しかし、その裏側には「廃業寸前」からの大逆転ストーリーがありました。
本記事では、代表取締役南都隆道さんがどのようにして家業を立て直し、全国ブランドへと育てていったのか、成功までのロードマップとして整理してご紹介します。
STEP1:創業は1963年、家族で支えた「伊藤納豆店」
下仁田納豆の原点は、1963年(昭和38年)。
先代・伊藤幸夫さんが、自宅を工場にして始めた「伊藤納豆店」でした。
当時は今のような大規模流通はなく、近所のお宅を一軒一軒まわる「引き売り」が主流。
朝食の時間に合わせて自転車で「なっと〜、なっと〜」と呼び歩き、主婦の方が手に取りやすいように、安価な大豆を使った70円ほどの納豆を販売していました。
納豆の価格は安くても、製造には手間を惜しみませんでした。炭火とヤカンを使って室内の温度と湿度を調整するなど、昔ながらの製法でふっくらとした納豆を丁寧に作り続けていたのです。
STEP2:時代の変化と廃業の危機
高度経済成長が落ち着き、ライフスタイルが変化するにつれて、「家族そろって朝食を食べる」家庭は減少。
それにともない、納豆の売上もじわじわと減っていきました。
最盛期には月商200万円ほどあった売上は、1990年代に入る頃には月商70万円ほどにまで低下。
先細りする家業を見て、子どもたちは誰も継ぐつもりはなく、長男の隆道さんも東京でサッシメーカーの技術者として働いていました。
そして約30年がたった1990年代初頭、1992年元日。
先代は家族を集めて、「そろそろ納豆店を閉めようと思う」と廃業の決断を告げます。
STEP3:長男・南都隆道さんの決断「継がせてくれ」
父の口から「店を閉める」と聞いたとき、隆道さんの胸に去来したのは、寂しさでした。
それまで、「何もない田舎で納豆屋なんて…」と思っていた自分。
けれど、いざ「やめる」と言われると、自分のルーツがなくなってしまうような喪失感が込み上げてきます。
思わず口をついて出た言葉は、
「継がせてくれないか」。
こうして、隆道さんは会社を辞め、家業を継ぐ覚悟を決めました。
店名も一新し、屋号を「伊藤納豆店」から「下仁田納豆」へと変更。
両親が製造を続け、隆道さんは営業・販売を担当する、新しい体制がスタートします。
STEP4:引き売りから卸売りへ——100軒回って2軒だけ
「これからは引き売りの時代ではない」と考えた隆道さんは、群馬県内のスーパーや小売店に納豆を置いてもらう営業を開始します。
しかし、店頭に並ぶとなれば、店の利益を乗せた価格設定にならざるを得ず、どうしても価格は上昇。
安価な大豆を使った「庶民的な納豆」は、大量生産の大手メーカー商品と比べても差別化が難しい状況でした。
約100軒のスーパー・小売店を飛び込み営業しても、取り扱ってくれたのはわずか2軒だけ。
売上はなんとか月商70万円をキープするものの、材料費などを差し引けば、隆道さんの手取りは8万円ほど。ギリギリの生活が続きます。
STEP5:人生の師との出会い——「安さ」から「価値」へ
打開策を求めて、隆道さんは同業者や大豆加工会社を訪ね歩き、「偵察」と学びの旅を続けます。
ある日、埼玉県のスーパーで、目を引く豆腐に出会います。
それは周りの商品よりも高い300円の豆腐。にもかかわらず、店員は「これが一番売れている」と話したのです。
帰り道、その豆腐を作っているもぎ豆腐店を訪ねたことが、隆道さんのターニングポイントとなります。
もぎ豆腐店の社長は、隆道さんの話に耳を傾けたうえで、こう告げます。
「原材料にいいものを使わずにおいしいものができるはずがない。」
そして、自社で使っている北海道産の良質な大豆を、仕入れ値のまま分けてくれたのです。
「この大豆で自分が納得できる納豆を作ってきなさい」。
こうして、「安さ」ではなく「品質」で勝負する納豆づくりへと舵を切るきっかけが生まれました。
STEP6:「恩送り」が開いた百貨店への道
良質な大豆で作った納豆は、もぎ豆腐店との取引からスタートしました。
しばらくして、その社長から突然、
「来月からはもう持ってこなくていい」と言われます。
目の前が真っ暗になった隆道さんに、社長は続けます。
「今のあんたは最低の下請けだ。このままじゃ親会社に切られたら終わり。自分の足で取引先を見つけなさい」。
落ち込みながらも家族に相談するなかで、母から出た一言が、次の一手を生みました。
「百貨店なら、きっと買ってくれるんじゃない?」
ダメ元で百貨店に足を運ぶと、驚くことに、担当者は二つ返事で取り扱いを承諾。
2軒目の百貨店でも「毎日納めてほしい」と言われます。
なぜ味も値段も知らないのに決めてくれたのか——。
その背景にあったのが、もぎ豆腐店の社長による「恩送り」でした。
実は、以前から百貨店の担当者に、
「そのうち『南都』っていうやつが来るから、そのときは取引してやってほしい」と頭を下げてお願いしてくれていたのです。
社長自身もまた、過去に親会社から取引を切られたとき、別の人に助けられた経験がありました。
そこで、「恩返し」ではなく「恩送り」として、次の世代である隆道さんを支えたのです。
もぎ豆腐店
茂木稔氏は、もぎ豆腐店株式会社の二代目社長であり、東京の日本橋で創業された豆腐店を、埼玉県本庄市に移転させて経営しています。彼は特に、高品質で価格の高い豆腐「三之助とうふ」を製造販売し、その豆腐が非常に売れていることで知られています。
茂木氏は、ビジネスモデルだけでなく、他の若い起業家たちへの支援と指導にも積極的で、南都隆道氏のような若者が直面する事業上の問題に対して実用的なアドバイスと実質的な援助を提供しました。
彼のビジネス哲学には、製品に対する誇りと品質へのこだわりが根底にあります。茂木氏は、南都氏に対して、価格を下げることで市場に適応しようとするのではなく、自分の商品に価値を見出し、それに見合う価格を設定することの重要性を説きました。この教えは南都氏に大きな影響を与え、彼の納豆事業を成功に導く鍵となりました。
また、茂木氏は南都氏の商品を自らの店で取り扱うことに加え、彼のために百貨店との橋渡しを行うなど、具体的なサポートを提供しました。このような行動から、茂木氏はただのビジネスマン以上に、他人に対する深い配慮と支援を行う人物なのですね。
STEP7:こだわりの納豆が全国へ——付加価値で選ばれるブランドに
良質な国産大豆と伝統製法、経木包装へのこだわりは、やがて「付加価値の高い納豆」として評価されていきます。
現在、下仁田納豆は、
- 国産大豆を使用
- 地元メーカーが製造する赤松の経木(三角パック)を採用
- 昔ながらの手作業を大切にした少量生産
といった特徴で、全国約190の百貨店・スーパーで販売されるまでに成長しました。
「安さ」で勝負するのではなく、「手間と技術と素材」で選ばれる納豆として、食通や料理人からも支持されています。
STEP8:「1000年後も続く会社」を目指して
南都隆道さんは、自社の経営ビジョンとして、「1000年後も存続する会社」を掲げています。
その根底にあるのは、
- 先代から受け継いだ技術と想い
- 人生の師から学んだ「恩送り」の精神
- 生産者・取引先・お客様との長く続く信頼関係
という、数字だけでは測れない価値観です。
廃業を覚悟した小さな納豆屋から、全国に愛されるブランドへ。
その根っこにあるのは、人とのご縁と、それを次の世代につなぐ姿勢なのかもしれません。
まとめ:地方の小さな納豆屋が成功するまでのロードマップ
有限会社下仁田納豆・南都隆道さんの歩みを、「成功までのロードマップ」として振り返ると、次のように整理できます。
- ① 家業の原点を理解する:創業家として、地域に根ざした商売の価値と課題を知る
- ② 廃業の危機を真正面から受け止める:時代の変化に向き合い、覚悟を決める
- ③ 引き売りから卸売りへ転換:新しい販路に挑戦し、試行錯誤を重ねる
- ④ 人生の師との出会い:高付加価値の商品づくりの発想を学ぶ
- ⑤ 「安さ」から「価値」へシフト:原材料と製法にとことんこだわる
- ⑥ 恩送りによるチャンス:信頼でつながる人間関係が、百貨店への道を開く
- ⑦ 付加価値経営で全国ブランドへ:小さな会社でも、価値を磨けば選ばれる存在になれる
南都隆道さんのストーリーは、「地方の小さな食品メーカーでも、理念とこだわり次第で全国に通用する」ということを教えてくれます。
もしあなたが小さな事業を営んでいたり、これから家業を継ごうか悩んでいるなら、
下仁田納豆の歩みは、大きなヒントと勇気を与えてくれるはずです。
南都氏は、彼の努力と茂木氏からの支援によって、年商を大きく伸ばし、従業員を増やし、工場を新設するなど、事業の拡大を実現しました。彼の物語は、伝統と革新のバランスを取りながら、地域の小規模事業がどのようにして大きな成功を収めることができるかを示す好例です。

