奇想天外で他にはない商品を販売するドムドムハンバーガーが話題になっています。
丸ごと!!カニバーガー
丸ごと!!カマンベールチーズバーガー、
手作り厚焼きたまごバーガー
奇想天外で他にはない商品を販売するハンバーガーショップです。
ドムドムハンバーガーの復活に何があったのか?
その鍵を握るのは39歳専業主婦の心遣いおもてなしにあっったといいます。
ドムドムハンバーガーの軌跡
1970年、マクドナルド日本上陸の1年前に誕生したのが「ドムドムハンバーガー」です。
日本生まれのハンバーガーショップで、90年代には全国で約400店舗を誇りました。
栄枯盛衰は世の常と言いますが、一時は24店舗にまで減って存続の危機でした。
赤字が続き、「バーガー界の絶滅危惧種」と呼ばれていたそうです。
ドムドムは現在27店舗です。マクドナルドは2951店舗。モスバーガーも1253店舗です。
バーガーキングでさえ、全国123店舗(2021年5月27日時点)あります。
店舗数では沖縄で展開するA&Wと同じくらいで、全国チェーンのハンバーガーショップとしてはケタ違いに店舗数が少ない。
「復活」の兆しが見えたのは2017年です。
会社の再生などの実績を持つレンブラントホールディングスが買収し、「ドムドムフードサービス」を設立して再生に乗り出し、ほどなくして業績が上向き、2年前からは黒字に回復していきます。
その勢いはコロナ禍でも衰えず、「浅草花やしき」「市原ぞうの国」など観光客が激減した商業施設に出店して、行列をつくるという離れ業をやってのけて大きな話題となった。
しかし、2020年度から最終黒字に転じ、売り上げを伸ばしつつあります。
この原動力になっているのが、「攻めたハンバーガー」です。
ソフトシェルクラブを一匹まるまる挟んだ「丸ごと!!カニバーガー」や、巨大なカレイフライを挟んだ「丸ごと!!カレイバーガー」を発売すると、SNSでも「映える」と大きな話題になりました。
現在も、台湾屋台で人気の「ジーパイ」という巨大な鶏の唐揚げを挟んだ「ジーパイバーガー」や、「ゴーヤーチャンプルバーガー」という独特な商品で勝負しています。
社長は専業主婦でした
ドムドムの新商品と同時に、開発を担当する新代表にも注目が集まっています。
その社長は専業主婦であった藤崎忍さんです。
ドムドムに入社して、わずか9カ月で社長に抜擢された異色の経歴を持ちます。
39歳まで就業経験がなく、専業主婦として家庭を支えていたのです。
どのような人物であり、どういった経緯で代表取締役になり、売り上げを伸ばしたのでしょうか。
経歴
1966年東京都墨田区に生まれます。
父親は東京都議会議員で、家庭内に事務所が設置されていました。
さらに家業には家業の事務所、煎餅店もあり、多くの関係者が出入りしていました。
大勢の大人がいる環境の中で、人付き合いのワザが自然に磨かれたそうです。
青山学院の初等部から短期大学まで一貫で学びました。
選挙活動で出会った藤崎繁武氏と大学を卒業とともに結婚し、専業主婦になります。
子供にも恵まれ、家事と夫の選挙活動を支えることに専念しました。
夫は選挙で当選を繰り返し、墨田区議会議員として奔走する毎日を送ります。
ところが2005年の東京都議会議員選挙に落選してしまうのです。
再起を誓いますが、今度は病が夫を襲います。
妻である忍は生活資金を稼ぐべく、仕事を探し始めまました。
こうして、39歳で初めて就職することになるのです。
39歳からの就業
仕事は小学部時代からの友人が紹介してくれました。
それは、渋谷109にあるアパレルの仕事だったのです。
店長として入社し、10代の女性アルバイトたちと仕事がスタートするのです。
売り場は雑然としており、段ボールは置いたまま、埃も目立ちます。
そこで店頭の掃除と整理から始めたのです。
そして、気づいたことをなんでもメモして、改善に役立てました。
試着室のカーテンを華やかにすることで、売り場全体の雰囲気を明るくできました。
また、商品ディスプレイの文字を工夫して、より目に留まるようにします。
アクセサリー類は単品で展示するのではなく、ワンピースなどと一緒に飾りました。
そうすると、お客さんは着た時のイメージが鮮明になり、購買意欲に繋がったのです。
気づいたことをメモして、改善に役立て、繰り返すことで、売り上げが上昇しました。
ところが、軌道に乗り始めた矢先、経営方針の変更に伴い失職します。
再び、仕事先を改めて探し始めました。
居酒屋を起業
専業主婦で鍛えた料理の腕を生かしたいと思い、新橋で仕事を探します。
新橋駅を降りて、求人誌を手に取り、電話をして、面接予約を取り付けます。
そのまま面接に行き、即採用が決定、その日の内から小料理屋で働き始めたのです。
美味しい料理と、幼少の頃から磨いた人付き合いの良さが喜ばれまさに適職です。
客数が明らかに増えていきます。
そんなある日、店舗前のスペースに、テナント募集の看板が掲げられました。
そして、常連客から「自分のお店、開いたら?」と勧められます。
その常連客から「資金を出してあげるよ」と言われ、起業の思いに火が点きます。
店を辞め、開店準備に取り掛かりました。
渋谷109のメンバーにも声をかけ、店舗スタッフになってもらいます。
学生時代の友達がSNS等で紹介してくれ、どんどんと口コミが広がったのです。
やがて、その居酒屋は、予約なしでは入れなくなるほど繁盛を極めました。
発展する人とのつながり
居酒屋のお客様の中にはレンブラントホールディングスの専務さんがいました。
専務は居酒屋を気に入り、ドムドム商品の開発を手伝いを依頼するのです。
彼女がドムドムの再建を図るのに良い人材と判断した依頼です。
驚きましたが、信頼して依頼してくれたことに感激し、話を快諾します。
しばらく商品開発に携わった後、正式にドムドムに入社しました。
店長として実績を上げ、エリアマネージャーとして店舗を回る充実した日々です。
しかし、商品開発に携わり、ある問題点を感じていました。
それは、店舗ごとにハンバーガーの組み方や味が違うこと、そして「ハンバーガーをもう一度食べたい」と思わないことでした。
またミーティングでは、数字を言う集まりで、問題点や改善策が見えなかった。
専務に、意見が言える立場にしてほしい、とお願いしましたがに断られてしまいます。
それでもめげることなく、問題点と、それに対する改善案をメールで報告し続けました。
その熱意やひたむきな努力は、ムダではありませんでした。
ドムドムに入社して9カ月目、なんと代表取締役に抜擢されることとなったのです。
草創期の企業は一人の人間の延長である。しかし、一人のトップマネジメントからトップマネジメントチームへの移行がなければ、企業は成長どころか存続もできない。成功している企業のトップの仕事はチームで行われている。
ピーター・ドラッカー
ドムドムの躍進
会議において、立場を越えて意見を言いやすい環境づくりに努めました。
また、現場の声を気軽に吸い上げられるよう、チャットツールを使う体制にします。
商品開発では、「また食べたい」「クセになる」と感じる商品を目指しました。
その中で生まれたのが「丸ごと!!カニバーガー」です。
強烈な見た目と、また食べたくなる味がヒットして、ドムドムは話題を呼びます。
さらに、イベント会場でも積極的に出店して、ドムドムハンバーガーの周知を狙います。
また、ドムドムのパーカーやTシャツ、アクセサリーの販売にも着手しました。
やがて、低迷していたドムドムの売上高が上昇し始めます。
かつて「絶滅危惧種」とまで言われたドムドムハンバーガーです。
2021年3月の決算では前年比109%を突破しました。
それも、コロナ禍という外食産業にとって致命的な時期だけに凄い実績です。
保守的な体制の改革
豊臣秀吉の成功の極意は「子守りを通じて磨いた人情の機微」と言います。
子守りは、どこまでも相手を気遣い、秀逸なおもてなしをする訓練でした。
秀吉は、国内外多くの方々を魅了し、愛され続けているのです。
主婦として、店長として、代表取締役としても、常にどの人も心地よく喜んでもらう。
喜んでもらう姿勢を大事にし、相手を気遣うその心がけが大切であると感じます。
ドムドム再生の最大のポイントは老舗の保守的なところを、自由な発想でぶっ壊した。
「小さな老舗こそ、常識にとらわれない攻めた戦い方ができる」事の証明です。
グローバルな企業では、何かを始めるにしても社内稟議と調整に莫大な時間がかります。
「ウチらしくない」「失敗したら誰が責任を取るんだ」という反対意見も多いでしょう。
しかし、ドムドムは藤崎社長のリーダーシップですぐに実行に移すことができます。
27店舗しかないので、ハンバーガーチェーンの常識に反した施策も打ちやすいのです。
まさしく、「持たざる者」にしかできない理想的な戦い方と云います。
苦しい戦いを強いられている全国の企業にとって、ドムドム復活から学べるものは多いのではないでしょうか。